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断ることと、誘うこと。

そのむかし『NOと言える日本』という本がベストセラーになった。

刊行は1989年。著者は当時ソニーで代表取締役会長を務めていた盛田昭夫氏と、石原慎太郎氏。サブタイトルは「新日米関係の方策」。本の中身以上にタイトルのインパクトによって記憶されてきた本だ。つまりそれだけ日本人は、「NO」と言うのが苦手なのだろう。

これはぼくにも当てはまる話で、公私のもろもろでいちばん面倒くさく、気を遣ってしまうのが「NO」、すなわちなにかをお断りする場面である。たとえばお仕事の依頼。営業の電話や訪問。飲み会の誘い。情に触れるような頼まれごと。いずれもバシッと断ることのできない自分がいる。誘われた経験はないものの、ネットワークビジネスやら新興宗教やらの勧誘を受けたらさぞかし心をすり減らすだろうなあ、と思う。

もっとも、「来月に本を書いてください」みたいなご依頼であれば、堂々とお断りすることができる。無理なんだもん。来月、ほかの仕事が入ってるんだもん。こっちが助けてほしいくらいなんだもん。そうやって、自分にも相手にも嘘をつくことなく、堂々とお断りすることができる。

むずかしいのは、「やればできないことはないけれど、気乗りしない依頼」である。腹の据わった人ならば、ここで正直に「いまいちピンとこないんでやめときますわ」と言えるのだろう。しかし、ぼくは言えない。それで結局モゴモゴと言い訳にもならない言い訳を重ね、お断りすることになる。断ること自体のストレスだけでなく、嘘をついてるストレスが、そこに重なるのだ。

そうやって「断るストレス」に過敏になっていくと、今度は「誘う」ことにも、ためらいを覚える自分ができあがる。ぼくのお誘いに対して、相手の方が断りたいと思った場合、相手は「断るストレス」を感じながら小さな嘘をつかなければならない。それをさせるのが心苦しく、ぼくは「なにがなんでも実現させたいお誘い」と、「まず間違いなく断られることのないだろうお誘い」以外は、あまり自分から口にしない気がする。

みんながもっと気楽に、気兼ねなく断ることのできる社会だったなら。そのぶん気兼ねなく誘うことができるし、それを断られたところで傷ついたりもしないし、もちろん互いに見えない嘘をつかなくてもすむし、いろんなことが好転していく気がするんだけどなー。


まあ、これからいろんな人をいろんな場所に仕事に誘っていきますよ、ぼくは。ライターって、どうしても「お声がかかるのを待つ」態勢になりやすいけれど、お声をかける仕事も大事だしね。