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やりたい仕事と、できる仕事。

「やりたい仕事」があるのはいいことだ。

ぼくは現在、いくつかの「やりたい仕事」を抱えている。こんな本がつくりたいなあ、というプランが複数ある。そのすべてをやるのかどうか、まだ全然わからないし、もしかしたらひとつも実現しないのかもしれない。それでもまあ、「やりたい仕事」があるのはいいことだ。

ぼくのなかで「やりたい仕事」と「できる仕事」は、ちょっと違う。これは年齢やキャリアのせいもあるだろうけれど、いまのぼくは「できる仕事」をガンガンこなす、みたいな働き方にあまり魅力を感じない。もう少し具体的にいうと、自分の能力の範囲内にある仕事、また6〜7割の労力でこなせる仕事に対しては、心が躍ってくれない。できうることなら、自分の能力をほんの少しだけ上回る、なんらかの「チャレンジ」を含んだ仕事に臨みたい。それがぼくにとっての「やりたい仕事」なのだ。「できる仕事」との対比でいえば「(自分の実力では)できないかもしれない仕事」と言い換えてもいいだろう。


で、思った。

たぶんぼくは「手を伸ばしたい」のだ。がんばって手を伸ばせば、届くかもしれないもの。そこに向かって精いっぱい、手を伸ばしていたい。らくらくと手が届くものには、あまり興味がない。ほしいのは手を伸ばしている実感であって、それは「いい本がつくりたい」みたいな望みとはまた別の、本能的な渇望なのだ。

職業人として考えると、「できる仕事」が多いのは大事なことだ。けれどもそれをくり返すだけではきっと、「できる仕事」の質も下がってしまう。ほとんどの場合ルーティーンは、効率化という名の定型化、パターン化におちいるからだ。

面倒くさくてもやはり、「やりたい仕事」があるのはいいことだ。


って、先々のことどもを考えてると、どうしても青臭い話になっちゃうんですよね。