見出し画像

「学校」がつくってくれるもの。

土曜日は「バトンズの学校」の第6講だった。

マスクの着用、入場時の検温、アルコール消毒などはあるものの、同じ空間でお互いの顔を見ながら講義できる環境はとてもありがたい。これが初回から最終回まで完全リモートの講義だったら、ぜんぜん違った場になっていただろう。きっと「学校」ではない、「講座」に近づいていたはずだ。しかも通信講座なのだから、場もなにもあったもんじゃない。

上京してしばらく経ったころ、東京にひとりの友だちもいない自分に悩んだ時期があった。いちおうは仕事も回るようになり、滞納していた国民年金も支払い、天ぷらそばやチャーシュー麺など「ワンランク上」のメニューも食べられるようになった。いい仕事も増えて、じゅうぶん満足できるはずなのに、どうも毎日がたのしくない。そりゃそうだ。大学卒業までずっと福岡にいたぼくは、東京にひとりの友だちもいないのだ。仕事つながりの人しか、まわりにいないのだ。


そこから「友だち」をゲットすべく、当時の自分がどんな愚策に出たかは、ずっとずっとむかしの note に書いた。まあ、簡単にいうと近所の居酒屋に通いつめ、「飲み友だち」をゲットしようと画策したのだ。

で、上の note にも書いたけれど、友だちを見つけるいちばん便利な場所は「学校」と「アルバイト先」である。学校には、やたらたくさんの同級生がいるし、アルバイト先には学校や年齢の違う人たちが混じり合っていて、そこでできる友だちもまた、ときに一生モノの友になったりする。

まあ、なにはともあれ「バトンズの学校」を通じて、受講生のみなさんたちに何人かずつの「友だち」ができてくれれば、それはなによりもすばらしい「学校」ができた証拠だよなあ、なんてことを思うのである。

あるいはまた、「おれがここの学生だったなら、誰や誰と友だちになったんだろうなあ」とか。