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デフレの話と、本の話。

90年代後半の話である。

とある若者向け週刊誌のお仕事で、経済評論家の先生にインタビューした。なんだかとてもお忙しい方で、大阪まで来てくれ、と言う。新大阪駅で待ち合わせて、一緒に新幹線で帰京しよう。その車中であれば、インタビューに応じる。もちろん新幹線グリーン車のチケット代は、そちらが支払ってくれたまえ。そういう条件だった。さすが経済の専門家、ずいぶんと倹約につとめているんだなあ。編集者と笑い合って、大阪へ向かった。

インタビューのテーマは「デフレ」だった。特集タイトルは「デフレ時代がやってくる!?」みたいな感じだったと思う。

インフレについては一応、社会の授業で習う。第一次世界大戦後のドイツがハイパーインフレーションに襲われ、結果としてナチスの台頭を招いた。インフレとは恐ろしいものである。そんな話を学校で学ぶ。一方、デフレについては「インフレの逆」くらいの説明しかなされず、ぼんやりした理解のまま大人になったのが当時のぼくであり、大半の日本人だったのではないかと思う。

そして当時、メディアでは「日本はデフレに突入した」という言説が、戦々恐々と語られていた。その証拠にほら、あれもこれも値段が下がっている。やばいぞ日本、というわけだ。

無学な貧乏ライターのぼくには、これがどうやばいのか、さっぱり理解できなかった。物の値段が上がるのならともかく、下がるぶんにはいくら下がってもいいじゃないか。1万円なら1万円での「それで買えるもの」が増えるってことなんだし、言い換えればそれは1万円札の価値が上がるってことなんだから、大歓迎じゃないか。何度考えても、そうとしか思えなかった。

新大阪駅を出て、さっそく経済評論家のおじさんに訊く。「いったいデフレの、なにが悪いんですか?」と。

おじさんは語る。物の値段が下がる。企業は困る。儲けを減らしてでも値段を下げないと売れてくれないから、企業は儲からなくなる。儲からないどころか、やがて倒産も増えるだろうし、失業率も上がるだろう。すなわち、デフレはやばい。もしかしたらインフレより、やばい。そんな話だった。

さあ、ぼくはいよいよ納得がいかない。物の値段が下がると言っても、さすがに仕入れ値だって下がっているはずだから、(額面上はともかく)実質的な利益は変わらないんじゃないか。そしてなにより、おれみたいに毎月ギリギリのお金で生きている人間にとっては、パンやラーメンの値段が下がってくれるのは本当にありがたいことだ。企業の論理であれこれ語ってるんじゃねえ。——無学をさらけ出すように、食い下がった。

おじさんは語る。たしかにパンやラーメンの値段が下がれば嬉しいだろう。しかし、パンやラーメンの値段を下げるために企業は、従業員たちのお給料を下げてくる。みんなで貧乏になるのが、デフレの怖さなのだ。

こんな話に納得するようなぼくではない。「昇給の見送り」ならともかく、年功序列な日本の企業において「減給」という発想がどれくらいリアリティを伴った話なのか、少なくとも当時はよく理解できなかった。給料が下がるなんてありえます? 不払いとか倒産ならともかく。

新幹線はとっくに名古屋を通過して、静岡あたりを走っていた。おじさんはワゴン販売で所望した缶ビールを飲みながら、話を続ける。

たしかに、あからさまな減給ってのはむずかしいかもしれない。じゃあ、どうするか。新卒の採用を見送るだろうし、採用したとしてもかなりの低賃金で採用するようになるだろう。けっきょくデフレでいちばん損をするのは、あなたがた若者たちなのだよ。

ああ、そこを糸口にするのだったら、原稿を書けるかもしれない。ようやく納得の手がかりを掴んだところで新幹線は東京駅に到着した。



フリーランスの立場で仕事をしていると、デフレ的な話にやや鈍感になってしまう。たしかに2000年代に突入したあたりから、雑誌の原稿料はみるみる下がっていったし、「高い本は売れない」との話も耳にするようになった。けれどもそれがデフレの影響なのか、出版不況の本格化なのか、無学なフリーランスのぼくには確かめる術もなかった。

ぼくの『取材・執筆・推敲』という本は、3000円+税の定価になっている。それを「高い」と言われることもあるんだけど、本の値段、そろそろ業界全体として脱デフレ化を指向していかないと厳しいと思うんだよなー。「安ければ売れる」ってものでもないと思うし。