マガジンのカバー画像

ものかきのおかしみと哀しみ

767
すれ違った人たち
運営しているクリエイター

#写真徒然

写真徒然 2019.4.28 問われる店

写真徒然 2019.4.28 問われる店

近所(クルマで30分ほどは近所)の「農家の店」で苗を買いつつ、わざわざさんの新店舗『問tou』に足を運んだ。

「農家の店」というのは文字通り、そのまんまそういう店の名前なのだ。信州らしいし、わかりやすい。で、その近く(クルマで10分ぐらい)の小高い丘を上がった「芸術むら公園」に『問tou』はある。

昔は何がしたいのかよくわからない謎の売店(公的な施設にありがちなやつ)が入っていた建物がリノベー

もっとみる
写真徒然 2019.4.14

写真徒然 2019.4.14

うちのお客さん(6次産業をしている生産者さん)のところで行われた、味噌づくりの集まりに顔を出してきた。

昔は集落の何軒かで集まって当たり前にやっていた味噌づくり。

いまは、農薬や化学肥料を使わずに米づくりをしている農家さんと
お米が縁でつながった東京の人、そして近所の人たちが集まって一緒にやる新しいスタイル。

米麹も自家製なので、まだ発酵の熱でほんのり温かい。塊のままだと米麹が再発酵して60

もっとみる
写真徒然 2019.3.17

写真徒然 2019.3.17

春は迷う。カフェ・オ・レとカフェ・ラテのように迷う。

暖かさに油断して、すっかり冬のことを記憶からなくしたのに、冬が忘れ物を取りに戻ってきて微妙な空気になったりもする。僕が春を先取りしすぎた格好をしているからだ。

そうかと思えば、春になったらブラジル体操を始めようかなと思いながら「みんなで筋肉体操」を眺めたりしている。

まあだけど、いまに始まったことでもなく、僕はずっと春という季節に迷ったり

もっとみる
写真徒然 2019.3.10

写真徒然 2019.3.10

ことしは春が早いんだ。
そういえば冬にちゃんとお別れしたっけ。

なんとなくだけど冬から春に季節を引越しするのは
ちゃんと自分の中での儀式みたいなものが必要だ。
他の季節に移るときには、そんなことあまり考えないのだけれど。

だけど現実の日々はあまりにもやることが多くて
冬との別れがいつもできないまま。

そんなことをぼんやり考えてたら
「もう、ふきのとうも食べたくせに」と
名前も知らない鳥がつぶ

もっとみる
写真徒然 2019.3.3

写真徒然 2019.3.3

東京マラソンがあった。

いや、べつに自分が走ったわけでも観戦していたわけでもない。だけど、もし走るならと考えたのは雨のせいだろう。

雨のマラソン。雨の42.195km。

祭りのあとの東京の夜。

虚脱感と解放感が混じった空気が漂う
夜のコースを誰にも応援されることもなく、

誰にも知られずひっそりとトレースするように走ったらどんな気分になるんだろう。

途中で排水溝から顔

もっとみる
写真徒然 2019.2.24

写真徒然 2019.2.24

春はいい加減。

立春過ぎたから、もう春って言ってもいいのだろうか。
本当なら厳密に調べるところなんだけど、なんとなく気分と天気が
春って言ってるので春。

なんだろう、春という季節はいい意味で「いい加減」になれる。

生きていて、冬のようにずっと研ぎ澄ましてもいられないし
秋のように何かを片づけてばかりでもつまらないし、
夏のようにひたすら疾走し続けてもいられない。

だから春は、なんとなくいい

もっとみる
写真徒然 2019.2.17

写真徒然 2019.2.17

いい写真には風が吹いている。気持ちが泡立つ。持って行かれそうになる。

写真が絵画だった時代。印画紙という言葉そのまま。田淵行男さんが撮られた最後の安曇野の原風景。

清冽な水が流れ、土埃が舞い、雲雀が空に楽譜を描くように飛ぶ。

高山蝶の写真は、とても65年前とは思えない色香。ミヤマモンキチョウの佇まいにゾクゾクする。

風景を抱くという言葉が脳裏をよぎる。写真が風景を抱き、観る人が写真に抱かれ

もっとみる
写真徒然 2019.2.10

写真徒然 2019.2.10

※日曜日は写真と個人的なことを話す日

ちゃんと編集された空間が好きだ。

まったく人の手が入ってない自然も好きで、どっちも同じぐらい
好きなのだけれど。

「ちゃんと」というのは、人の手で編集されているのに
まるで最初からずっと在って、これからも在るような佇まい。

なんだろう。過去もいまも未来も、そこにひとつになっていて
そのまま時を重ねていくようなもの。

死でも生でもない何か。

そんな空

もっとみる
写真徒然 2019.1.27

写真徒然 2019.1.27

※日曜日は写真と話す日

どこでもない場所に佇むのが好きだ。

自分にとっては無関係で無目的な場所。
たとえば、ひなびた物静かなスキー場。
もちろんスキーやスノボはしない。
ただ、無口なスキー場の風景や気配を愛でるのだ。

一応、スノーブーツを履いているとはいえ、
明らかにスキー場に遊びに来たのではない格好をしているのを、
時折通り掛るスキーの人たちがチラと見る。

もちろんエリアの中には立ち入っ

もっとみる
写真徒然 2019.1.20

写真徒然 2019.1.20

※日曜日は写真と話す日

古いものを「新しくつくる」ことはできない。
ちょっとなに言ってるのかわからないけど、たとえば蒸気機関車。

SLとも呼ばれる機関車だけど、もういまは基本的に新しく製造されていない。21世紀もすっかり進んでAIと仲良くなれる時代だというのに、
いまより昔の技術で蒸気機関車を「新しくつくる」ことは現実的に難しい。

なんでもできる時代のようだけど、じつはできなくなっていること

もっとみる
写真徒然 2019.1.13

写真徒然 2019.1.13

※日曜日は写真と話す日

わざわざの平田さんの『B面日記』が始まったので早速購読させてもらった。

基本的にそうなのだ。コミュニケーションは疲れる。

こんな当たり前のことを当たり前だからか、あまり誰も言ってなかったけどすごく深く頷く。

なぜこのくだりなのかは『B面日記』を読んでみてください。

世の中には、コミュニケーションをしようと思わなくても出来てしまう人と、ちゃんとしようと思わないとでき

もっとみる
写真徒然 2019.1.6

写真徒然 2019.1.6

※日曜日はさらに人通りが少ないので写真と話す日

熊谷守一先生は「石ころひとつあれば、それをいじって暮らせる」と
言われた。深い。だけど軽やかさがある。

理想の生活なんてことばは、自分ではあまり使わないし
これからも使うつもりもないのだけれど、
熊谷先生の「石ころ」はことばそのままに「理想」でいいと思う。
なんていうか空に浮かぶ石のような存在。

僕はまだまだ、いや、もしかしたら一生、そんなふう

もっとみる
写真徒然 2018.12.30

写真徒然 2018.12.30

お墓の空は広い。12月は余計に広く感じる。
もちろんお墓のそうじ、お参りという目的があるのだけれど
半分は広い空の下に佇むため。

いまはもういない人のことを考えていると、
その人の何でもない言葉が
空からの便りのように、僕のポストに届く。

僕は、返信をこころの中でしたため枯葉の切手を貼る。

写真徒然 2018.12.23

写真徒然 2018.12.23

※日曜日はさらに僕のnoteの前を行き交う人も少なくなるので
1枚の写真と語る日

冬の公園が好きだ。誰もいない公園。光と北風だけの祝祭。