ずる賢さ/効率のよさ

 ズルをして楽をすること。機能を駆使して効率的に物事を処理し、楽をすること。このふたつの違いについて考えさせられることがあった。
 わたしはいま、photoshopでラインスタンプを作成している。ペンタブレットを持っていないので、下地となるイラストを作成するだけでも多くの段階を踏まなければいけない。まず、コピー用紙にイラストを描く。次に、それをスキャンしてパソコンに取り込む。photoshopの切り取りツールを使って余白を削除する。紙面いっぱいになるようイラストを拡大し、プリントアウトする。極太のマジックでペン入れをする。もういちどスキャンにかける。photoshopの色調補正機能を使って、スキャンしたときに紛れてしまったホコリや、残ってしまった鉛筆の線を飛ばす。ブラシツールを使って、線のはみ出しや乱れを整える。そうしてようやく線画が完成する。
 先日、ペン入れを終えてパソコンに取り込んだイラストの、ドアの線を整えようとしたとき、ふと「めんどうくさいな」と思った。
 わたしは定職に就いていない。社会で活躍している同級生と自分を比べたときの劣等感。60歳を越した親に食べさせてもらっているうしろめたさ。親が死んだあとの恐怖と焦り。自分なりに頑張っているつもりだけれど、経済的に自立しているひとたちから見たら、わたしなんかただの甘ったれだ。24時間365日、それらが澱となって心の底に溜まっている。かつてうつの療養もかねて「決まった曜日、決まった時間に、ある特定の場所に通う」と言う訓練をした。しかし、ことごとく失敗に終わった。「今週もちゃんと行かなければ」。「前回は具合が悪くて休んでしまったから、明日こそは」。「行ったはいいけど具合が悪くなったらどうしよう」。常に緊張状態だった。ストレスが蓄積し、次第に体調不良で休む回数が多くなり、舞台の袖にそっとはけるように静かに離脱していった。友達と遊ぶのだって、断って途中で抜ける。そして、次の日は寝込む。そんな神経脆弱野郎のわたしが組織の中で働くのは難しい。そう判断して在宅で食べていけるようになろうと、その方向に舵を切ったのが半年ほど前。いまは、勉強をして、ちいさくてもいいから何かしら作品を仕上げることに尽力している。そうやって、スコップで澱を掻き出して土台を作っている。舵を切るタイミングが遅すぎたが、過ぎてしまったものはしょうがない。
 頑張らないといけない。わたしは怠けものだ。努力の足りていない人間だ。もっともっと頑張らないと。だから「めんどうくさい」だなんて思ってはいけない。「もっと楽に、簡単に作れたら」なんて思ってはいけない。みんなが休憩している間もわたしは休まずに努力を続けて初めて、わたしはみんなと同じ高さに立てる。(わたしはみんなと同じがいいの? 「普通」になりたいの?)
 「めんどうくさい」。ひやりとしたけれど、同時に納得もした。「ああ。これだからわたしはダメなんだ」と言う自責の念。「無意識に心に浮かんだ言葉だから、これがいまの本音だ」と言う諦めの念。そして、あるひとつの疑問が浮かんだ。「これをいちどに処理する方法を考えるのって、ずるいことなの? もしもその方法がほんとうにあったとして、実際にそれを利用したら、いまやっている作業がはやく終わって別のことに時間を使える。作業の効率化のために工夫しようとするのは、いいことだよね?」。
 学生時代、ズルをして楽ができたことを自慢する子がいた。彼女がA判定をもらった美術の課題は、彼女の母親の作品だった。わたしは彼女の自慢話を聞くたび、「わたしはそんなことするもんか」とムキになった。彼女をずるいと思ったことと、効率化のための工夫だと思ったこと。このふたつは何が違うのだろう。
 ズルをすることは、マウンティングをすることに似ている。自分を高く見せるために、相手をけなして下げる。しかし、相手を下げることはあっても、自分の立ち位置は変わらない。むしろ、相手の立ち位置は変わらずに、自分の立ち位置が下がる。いくらズルをして高い評価を得たとしても、自分の労力を使っていないから、実際のところ自分には何もプラスされていないのだ。
 他人の時間を不当に削り、それを自分の利益としたか。それも大事なポイントだと、わたしは思う。たとえば、寝坊をして待ち合わせに遅刻したとする。たったの5分かもしれない。けれど、わたしはいつもこう考える――待ち合わせの相手の生涯が80年だったとして、その限りある時間のうちの5分間を、他にもっともっと大切なことに使えたかもしれない5分間を、わたしは不当に浪費させてしまった、と。わたしは「他人の時間を不当に削り、それを自分の利益としたか」と書いたが、この例における「利益」――それは「5分間」だ。相手の5分間が、到着を待ってもらっている自分のための5分間になるのだ。約束の時刻を守ったひとの人生の貴重な5分間が、約束の時刻を守らなかったひとのために使われる。
  ズルをして楽をするひとは見ていて不快だ。けれど「1から100まで完璧にこなさなければいけない」と言う凝り固まった思考も、自分の視野を狭め、首を絞め、いつしか自分で自分を追い詰めてしまう。そう言う偏った思考はひと思いに手放すべきだ。わたしにはこれが足りない。気楽さと真面目さ。その真ん中がちょうどいい。
 ズルをすると言うこと。相手のエネルギーを利用して事を成すため、自分の能力値がいつまでも上がらないこと。相手にとって価値のあるもの(=そのひとの時間)を奪い、それを自分のものとして使うこと。
 作業を効率的に処理すると言うこと。自分のエネルギーを利用して事を成すため、自分の能力値が上がること。作業の処理速度を上げることにより、自分にとって価値のあるもの(=自分の時間)を自らのちからで作り出すこと。
 ――それが、わたしが達した結論である。

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