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社会復帰計画記録その30

わたくしのお正月休みは本日で終わります。

このnoteでは「たのしく生きたい!」「たのしく生きるためにたのしくお金を稼ぎたい!」と言ってるけど、それはなにも悩みもなく葛藤もなく生きたいということではない。

試行錯誤したり、壁にぶつかりながらどうそれを打開すればいいのか悩むことは"たのしい"に値する。

たとえば仮にこのnoteが仕事だったとしよう。

毎日更新することを目標にしているけど、毎日毎日面白い出来事があるわけでも言葉にするほどの決意が生まれるわけでもない。
だけど、その目標に対して日々言葉を綴ることは"たのしい"と感じる。
全然苦痛じゃないし、義務として縛られている感覚もない。

今の自分が"たのしい"と思えないのは、

①仕事の内容が楽しいと思えない
②やり甲斐を感じられない
③すべて縛られている気がして、仕事以外の時間もたのしめない

この3つを強く感じるから。


明日からの仕事初めに当たって、今一度自分の気持ちを考えてみた。


仕事に行きたくない!!!!!


実際のところこう思うのはわたしだけではなく、正月休み明けの人々の大半は同じように思うだろう。

それはわかるけど、でもなんで、少しも心がときめかない、心が弾まない、達成感もないことに対して、週の5/7、1日の2/3の時間を使って日々を消費しなければならないんだろう?

生きるためにはお金を稼がなきゃいけない。
お金がないと生きていけない。

それはわかってる。

でも必ずしも、

「お金を稼ぐ=我慢すること」

なのか?



明日車に轢かれて死ぬかもしれない。
突然なにかの発作で死ぬかもしれない。
何が起きるかわからないのに、これからもずっと時間と心を消耗して我慢し続けて……。
考えるだけでゾッとするし、冗談でも比喩でもなく、また躁鬱病の症状が酷かったときの自分に戻ってしまいそう。


このまま会社員でいて仕事を続けていたら、安定的な給料は保証される。
それもわかってる。
だけど、わたしにはそれができると思えない。


仕事に行くのがいやだ!!
大変なことがあってもたのしいと思える仕事をしたい!!!


こう言うと、
「そんなの無理」
って言う人や、
「そんな人はこの世にいない。いたとしても限られた人で、みんな仕事はいやだと思ってる」
と言われる。

ほんとにそうなのかな?


その"限られた人"とやらになるにはどうすればいいか、考えてもみないで、ましてや行動してもみないでなんでそんなことが言えるんだろう?


口で言うのは簡単って言葉を聞くけど、それって、
「たのしいと思える仕事をしたい!」
って言うのと、
「たのしいと思える仕事に就くなんて特別な人だけ」
って言うの、どっちにも言えることじゃない?


後者だって口で言うのは簡単だけど、何もやる前から「大衆は我慢して仕事してる」って決めつけてるだけじゃないかって思う。
それか、その現状に満足しているか。


とにかくわたしは絶対にこのままは嫌だ。


ほんの少し、やってみたいなと思うことができたけど、まず下調べが必要だし、それで確定ではないし、何よりそれを始めたとしてすぐにお金になるわけじゃない。


先は全然見えなくて、保証されるものもなくて、なにを始めるにしても物凄い勇気が必要だけど、
たのしい仕事に就いてる"特別な人、限られた人"たちは、その勇気や恐怖を乗り越えたからこそ、その場所に辿り着いてるんだと思う。


これは自分に対して言うのだけど、口で言うのは本当に簡単。

こんなに長々と持論を展開して、偉そうに文章を綴ってるけど、結局これ以降考えることを止めて、何も動かずにいたとしたらただのビックマウスで終わる。


絶対にそんな風にはなりたくない。

今までの自分とは違うのだ。

何もしないまま、「こんなつまらない人生」と嘆きたくない。

わたしは病気を乗り越えて変わったのだ。

明日仕事に行くのは嫌だ。

だけど、それは次に進むために必要なことで、それを乗り越えて、更に一歩進むための勇気を出して、人生をたのしく変えていくのだ。

変えられるのは自分しかいない!!!!!

改めて2023年、
気合い入れていくぞ!!!!!!!!


■自己分析

・好きなこと
 自分の気持ちを言葉にしてアウトプットすること


・苦手なこと
 マイナスな気持ちを自分の中に留めておくこと

 

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