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自己受容は何の役に立つのか

物事を正確にとらえて適切に対応したいのであれば、自己受容はできていたほうがより良くできるはずだ。

なぜかと言うと、それにはできるだけ多くの視点を持ち、さらにそれらに等しく距離がとれていて、フラットに選択できる事が必要で、

そのためには「自分自身を理解する事」が真っ先に基盤になり、その下支えに自己受容が大きな役割を果たすからだ。

まず、何事かに対して最初から100%を目指してしまうと、結局、完璧でない事にイヤになって、自分でひっくり返しちゃったり、無理があって続かず0%で終わる事が多い。

だけど、完璧でない時間に耐え、あるいは楽しんで、1%ずつでもジリジリ上げて行けば、時間がかかっても最終的に90%くらいにはなるかも知れない。

世の中に完全な0や100は滅多になく、1〜99の数字にあたる部分のほうが断然多いので、

ゼロかヒャクだけでとらえるとだいたいうまく行かない。

たとえば感情に任せたやみくもな言動は、そのゼロヒャクにあたる。

自分の世界からの視点100%、その他の視点0%でしかないからだ。

また、別の切り口から言うと、丁寧に書かなければならない記述問題10問のテストがあったとして、
全問とろうとして勉強が全部中途半端になってしまい、得点するために必要充分な記述がまったくできなければ、1問も得点できず0点だ。

もし回答時間をもっともらえたとしても、目の前の1問を満足に解く力が養われていないのなら、何時間あっても0点だ。

それより自分が確実にとれる5問を見極めて、しっかり半分は絶対に得点できるようにしておいたほうが、点数的には良い結果が得られる。

半分確実にとれるほどの実力がついているなら、回答時間をもっともらえればおそらくもっと得点できる。

それが善いだとか正しいだとかいう事ではない。

ある条件下で「目的に対して合理的」という単なる事実だ。

この時に「色々な設問がある」事のほうに気を取られてエネルギーを使い過ぎ、時間切れになってしまうと、しくじる。

それよりも真っ先に自分に集中して、何ができ何ができないか「自分をよく知る」事をから始めたほうが、自分のポテンシャルを最大発揮できる。

それと、自分の中に「まったくないもの」や、「あっても取っ手をつけて整理できていないもの」は、どこかで出会っても認識できないはずだ。

たとえば生まれてこのかた嫉妬を覚えた事がない人には、嫉妬する人の気持ちがわからない。

私も、生まれてずっとゼロとは言わないが嫉妬心がたいへん薄いので気をつけなければならないといつも思う。

日本では、恋愛から何から嫉妬前提でできている関係様式が多いので、
大半の人が感じるらしいものが自分には無いんだな、くらいは踏まえていないと、結構大変な事になる。

なので、自分の中にあるものを合成して「嫉妬」する人の胸中をイメージする。

それにはやはり自分の中をサーチして、すぐに使えるように整理整頓しておく事が必要だ。

 
そんな訳で、

自分に深く潜っていれば他のものとも自然につながりスムーズに行くし、

自分をよく知らなければ何を持っていてもうまく活用できない、という構造になっていると思う。

自分を直視して理解する事が、色々な判断のすべての基盤になる。

それがないと自分以外の事も正確にとらえる事ができないし、適切に対応する事も限界がある。

嫌いなものを直視し続ける事や、許して受け入れて取り沙汰する事は難しいから、嫌いでなくしておく必要、つまり自分をありのまま愛し続ける必要がある。

もちろん他にも色々な意味があるが、それが自己受容の効能として一番大きいかなと私は思う。

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