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脳内を記述する技術(ハート・トゥ・ワード)

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タイトルはHUNTER×HUNTERの念能力名っぽくしました(笑)。 文章技術から悩み相談、僕の経験の紹介など「モヤモヤとした思考を言語化すること」をキーワードにいろいろと書いて…
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#メメントモリ

「生きるのが痛い」ってつらい。

丸一週間くらい、喉の痛みで寝込んでいた。

病院にも行ったけど、5分ほどの診療でパパッと済まされ、「特に周りの人で溶連菌とかインフルエンザとか流行ってなければ、検査の必要もなさそうですね」とのことで「総合感冒の皮下注射」というのを打たれて、薬を渡されて返された。
病名もいわれなかったが、総合感冒の注射をされたということは、「いわゆる普通の風邪」というか、免疫力の低下によってどこにでもいる菌やウィル

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「ちゃんと病院に行きなよ」と言われるけれど。

僕は虚弱だ。10日のうち7日はおなかが痛いし、すぐに熱を出すし、慢性的な疲れもある。

かと言って、健康診断をしても「痩せすぎだ」という以外に何かの結果が出たことはないし、大きな病気を持っている、ということもなく、単純に「心身ともに弱い」ということらしい。

「体調不良で仕事を休みます」と言うと、「ちゃんと病院に行きなよ」とよく言われるのだけど、僕のような万年不定愁訴な人間には、なかなか具合が悪い

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体力が、ない。

生まれてから今まで、体が丈夫だったことは一度もないけれど、それにしてもここ数年で体力がなくなったと思う。

まだ加齢のせいにするには少し早いと思うので、ストレスと運動不足、あともしかしたら、引っ越してきたこちらの気候が合わないのかもしれない。

体力が人並み以下になってみて改めて、世の中は体力がある人を基準に作られているなぁ、と実感する。

長時間労働が当たり前の社会。効率よりもやる気を見せること

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病弱キャラが定着してきた。

病弱キャラが定着してきた。

「病弱キャラ」が定着してきた。
確かに楽ではある。
みんな心配してくれるし、飲み会の誘いを「あまり体調が良くないから」と断っても納得してくれる。
「なるべく早く帰ったほうがいいよ」と言ってくれることさえある。
僕自身も「いえいえ大丈夫ですよ、がんばります」なんて強がらなくなった。
むしろ僕の方から、あまり体力がないこと、体調を崩しやすいことをアピールしてきた結果だから、処世術として、正しい。

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弱さを認めて受け入れることと、あきらめることは似ているけどちがう。

僕は体も心も弱い。これはたぶん生まれつきで、簡単に変えられるものじゃない。ほかの人にとっては大したことないことも、僕には一苦労だ。

これを認めてから、僕はたしかに生きやすくなった。「ふつうはこうだ」という言葉に惑わされず、僕自身にとってどうかを見極めて、つらければ仕事を休んだり、休日の予定を入れすぎないようにしたり、自分なりに調節できるようになった。

まだまだ十分とは言えないけど、20代前半の

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メメントモリ〜死を想うこと。

メメントモリ〜死を想うこと。

僕は体がよわい。

幼いころはとくにひどくて、幼稚園は3分の1くらいを病欠していたらしい。
小学校以降はそこまででもなかったので、卒業や進級をあやぶまれることはなかったが、それでも皆勤賞とは程遠く、毎年2,3回は風邪などで数日寝込む。
とくに熱を出すのがひどい。
小学生くらいまでは高熱からくる熱性けいれんでよく気を失って病院に運ばれていたそうだ。
これまでもっとも高かった熱は42℃で(そこまでしか

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低空飛行。

低空飛行。

ここ数か月ほど、低空飛行で生きている、という自覚がある。

数年前は、月間百数時間もの時間外労働をして、毎日深夜まで働いていたというのに、最近では定時ぴったりどころか、有給休暇も駆使して「フルタイムよりちょっと少なめ」で働いている。東京にいたときに比べて通勤時間も短いから、自由にできる時間は、かつてに比べて数倍以上だ。

だからと言ってその余った時間でなにか趣味の活動をしているかと言えばそういうこ

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われはヴァンパイア

われはヴァンパイア

日が落ちてから元気になる、吸血鬼みたいな体で嫌になる。

これ、鬱病の「日内変動」ってやつだ知ってる。「朝は体調が悪くて、だんだん良くなってくる」ってやつなんだけど、日が落ちるまでかかってるんじゃ、体調が悪い時間の方がずっと多いじゃないか。

「日が落ちてから仕事します」というわけにもいかないので、自律神経を整えようと四苦八苦し始めた。

「自律神経を整える」らしい音楽を聴いて、手首の内側のツボに

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僕が50歳で死ぬとしたら。

僕が50歳で死ぬとしたら。

近ごろよく、自分が50歳で死ぬことを考える。
希死念慮でも悲観でもなくて、僕の体の弱さとこれまでの人生の密度の濃さを考えると、それくらいが妥当だと思うのだ。

そしてそう考えたところで、それが不幸だとも悲しいとも思わない。これから「おそらく50歳で死ぬ。」と考えて生きたら、むしろいい選択ができるかもしれないとさえ思う。

長く生きればいいってもんじゃないよね。まだ少しやり残したことはある気がするけ

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