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「お金」は好きだけど「お金を稼ぐこと」にはそこまで興味が持てないあなたへ

「お金が欲しいと思っているのに稼げていないなら、お金を稼ぐのが下手なだけだよ」

とある事業家っぽい人がそんなふうに言っているのを聞いて、私はすこしムッとした反面、じわじわと、ああ、なるほど…なるほどなぁ……と、自分のこれまでの色々なことが腑に落ちたのであった。

自分のこれまでの仕事の選び方を振り返ってみると、できるだけ沢山お金が欲しい、と思いながらも、給料や報酬だけではなく、やりがいとか、自分の強みとか、自分の経験とか、責任の大きさとか、色々考えて選んでいた。

お金が欲しいといいながら、ついでにお金以外のものを欲しがった。

さらには、お金を稼げるようになりたい。

そのためにまずは人脈づくりだ
そのためにまずは知識だ勉強だ
そのためにまずは経験だ修行だ

と、あれこれ考え

社交っぽい場所に高いお金を払って行ってみたり、
資格試験の勉強にお金と時間を使ってみたり、
経験を積むためとかいって安い給料で働いたり、

「まずは」「まずは」「まずは」で、お金を稼ぐ以外のことばっかりやってしまう。

お金が欲しいはずなのに、それ以外のことをしてしまう。

お金を稼ぐのがうまい人は、シンプルに「稼げる方法」を選択できる人だ。
今ある選択肢から、いちばん時給が高い仕事を選べる人だ。
今より給料がもらえる仕事があればすぐに転職できる人だ。
転売でもアフィリエイトでも仮想通貨でも、お金が稼げそうな方法はとりあえず試せる人だ。

お金を稼ぐのがうまい人は、シンプルにお金を稼ぐという行為そのものが好きだ。純粋にお金を増やすゲームに没頭できるから、「今ある手札のなかでいちばん効率的にお金が手に入る方法」を選べる。

効率的にお金を稼ぐ方法があってもそれを選べず、遠回りしてしまうのは、残念ながらそこまでお金に興味がない(お金と引き換えにそこまで苦労したくない)ということの証明にほかならない。

私は10年働いてみて、この事実を自ら証明してしまった。

この記事を読んでほしいのは、私のようなお金が欲しいと思っているのに、「やりがい」「自分の強み」など色々考えてしまい、「まずは〇〇しないと」と脇道にそれがちな人であり、

この記事でいいたいことは、

我々は端的に言って、お金を稼ぐ才能はない

ということであり、そして

お金を稼ぐ才能がないことを認め、あきらめて、「お金はついでに稼ぐもの」と捉えなおそう

という提案をしたい。そして

実はお金を稼ぐことに興味がないほうが、最終的には得かもしれない

という結論に導きたい。



お金を稼ぐ才能がない我々は、お金を稼ぐことを直接の目的にしても、思ったよりモチベーションが高まらない。

そればかりか、無理矢理お金を目的にすることで選択を間違い、本来あったはずのモチベーションすら失ってしまう。

お金を稼ぐことに夢中になれない我々は、まずお金に代わる「没頭できる何か」を見つけなければならない。



お金よりも没頭できる数字を見つける

中学生の頃に初めてホームページをつくった。毎日PV数(サイトを見に来てくれる人の数)を眺めるのが楽しかった。知らない人が沢山、僕の書いた文章を読んでくれている……!という得体のしれない快感。この体験が原体験としてずっと身体にのこっていたのだろう、時が経ち2009年、私は見事にTwitterにハマった。

フォローしてくれる人が増えたり、沢山の人から反応がもらえるのが純粋に楽しかった。当時、公認会計士の資格試験の勉強中だったのもタイミングがよかった。おかげで時間はいくらでもあったし、一人で働きもせず勉強しているもんだから承認欲求にめちゃくちゃ飢えていたので、勉強そっちのけでTwitterばかりしていた。もちろん試験には落ちた。

じぶんの場合、お金を稼ぐことには興味が持てなかったけど、PVとかいいねとか、そういう「他者からの承認」を数値化したものを追うことには夢中になれた。

よくよく考えてみると、私は「人に良く思われたい」願望が昔から強く、お金もそのための手段のように考えていたみたいだ。しかしお金というのは実際のところ、むしろ沢山稼いだことを安易に自慢しようものなら、反感や嫉妬をかってしまう。僕はあくまで、人に良く思われたいのに、お金を稼ぐ努力は逆に作用してしまうのだ。

無理にお金を稼ごうとすると、こんなふうに欲望同士の衝突がよく起こる。こうしてモチベーションは挫かれていく。あなたにも心当たりはないだろうか。


ところで、いいねやフォロワー数、PV数といった数値を追求するということは、たいていは他者に何らかの価値を提供する技術を磨くことになるので、そうして鍛えた技術は、たいていはお金を稼ぐことにも使える。

というわけでじぶんの場合、Twitterで承認を貪っていたら、いつのまにか文章を書いたり人に何かを伝えるための技術を磨くことにつながったらしく、少しずつ、講演をしたり本を書いたりできるようになっていた。

お金を稼ぐことに興味がなくても、人から認められたい、という欲望を純粋に追求することで、お金稼ぎを直接楽しめる人ほどではないにせよ、ある程度は「ついでに」お金も稼げるようになった。

お金を稼ぐことに興味が持てない人にまずお勧めしたい戦略は、

お金以外の数字で、純粋に追求できるものを探すこと

だ。



しかし、こういう数字を追うことにも、やっぱり興味がもてない人もいるだろう。

最近ではあまり「いいね中毒」みたいな言説は聞かなくなったけど、承認欲求にかまけてひたすら自撮りやおいしそうな料理や仲間との写真や名言やブログ記事やデカいリアクションの動画を撮影し発信し続けられる人は、むしろかなり稀な存在だ。大抵の人は途中で飽きてしまう。

お金を稼ぐことにも、他者からの承認を稼ぐことにも興味が持てないならば、一体何に没頭したらいいのだろうか。

そのこたえを、私はパートナーから教えられた。


お金を稼ぐことにも、いいねを稼ぐことにも興味が持てないなら

彼女は昔から料理が好きで、最近始めた通信販売のオリジナルクッキー缶がものすごく好評で、100個が6分で売り切れる。



その制作過程をみさせてもらったことがあるが、もう、手間暇が半端ない。ここまでの時間をかけて、しかもこれだけ沢山の人が欲しいといってくれているのだから、もっと値段を上げてもいいのでは?という私のアドバイスを、彼女はひどくつまらなそうに聞いていた。

彼女はただひたすら、「かわいいものをつくる」ということを楽しみ、没頭しているように見える。彼女にとってクッキー缶は、フォロワーさんに気持ちよく買ってもらって初めて完成する作品であり、つまりは値段も含めて、一つの作品なのだと知った。だから私が値段について口出しすることは、「そのねこの目、もう少し大きくしたほうがかわいいんじゃない?」と口出しするくらい、的外れで無意味で余計なアドバイスだったのだ。

値段というのは、「相手も気持ちよく払えて、自分自身も気持ちよく仕事ができるかどうか」で決めるものだ、ということを僕は彼女から学んだ。


他者からの評価に徹底的にこだわる

彼女はお金を稼ぐことにも、いいねやフォロワー数を稼ぐことにも興味がない。

かといって、他者からの評価を気にせずひたすら創作に没頭している、というわけでもない。

むしろ逆に、彼女はあくまで他者からの評価にこだわりつづける人だった。

彼女はお菓子作りが忙しくなる前はwebデザイナーの仕事がメインで、ひたすら丁寧に相手の要望に応えていた。値段設定がとても苦手だったので、ちょっと安すぎる単価で受けた仕事でも、何時間でも何日でも、自分と相手が納得いくまで、細かいリテイクに応え続けていた。とにかく仕事が丁寧で、手を抜けないのだ。

その傾向はお菓子づくりにも遺憾なく発揮されていて、美味しさはもちろんのこと、かわいさをひたすら丁寧に膨大な時間をかけて追求するのだが、その「かわいい」は、けっしてひとりよがりではなく、他の人がみても同じく「かわいい」と感じるものを追求している。

今思えば彼女は、昔からずっと自分のつくった料理やお菓子をTwitterにアップし、返信をもらってはニヤニヤし、ありがとうと返事をし、また他の人の作品にも目を通してコメントをしてキャッキャしながら、Twitter上で共有される「かわいい」の概念をどんどん吸収していた。

そしてwebデザイナーの仕事では、自分が思う「かわいい」と、相手が求める「かわいい」のズレを、ひたすら丁寧にコミュニケーションで修正すり合わせていくという手続きを学習していた。

お金を稼ぐことにも「いいね」を稼ぐことにも興味がないが、目の前の相手を喜ばせる、楽しませる、満足させることにひたすら没頭し続けていた。

彼女がかわいいと思うものは、彼女以外の多くの人がかわいいと思うものになっていった。そしてそれを実際の形にする技術も磨いてきたことで、沢山の人が買いたい、と思ってくれるクッキー缶をつくれるようになっていた。

気づけば、ついでに承認も、お金も得られるようになっていた。


今の自分が思う最も尊い働き方はこれだ。この

目の前の相手に価値を提供することに没頭する

働き方なのだ。


誰しもが最終的には「目の前の相手に没頭する働き方」へと向かう

実は、お金というのは必ずしも、人を喜ばせなくても稼げる。逆に人を騙したり打ち負かしたりしてお金を稼ぐ方法もある。

いいねやPVのような「他者からの承認」も、炎上を狙ったりして、一部の人を不快にさせて稼ぐ方法がないわけではない。

でも結局は、人を不快にさせるようなやり口は、長い目でみると失うもののほうが大きい。

目の前の相手に価値を提供する、という行為。この行為にブレずに没頭できるのなら、正直なところ、お金も承認も後から勝手についてくる。そんなの綺麗事だと昔は思っていたが、非効率的で丁寧な仕事を続けてきた彼女が、いつのまにか人気のクッキー職人になっていくのを間近で見せられては、このことを信じざるを得なくなった。

※ところで目の前の相手のニーズに丁寧に応え続けていれば収入が増える、というのは、その相手が多数ではなく少数の場合には注意が必要だ、ということは念の為申し添えて書いておきたい。目の前の相手、すなわち上司やクライアントがあなたから労働力を搾取することしか考えていない場合、いくらそこにエネルギーを注いだところで変化は訪れない可能性がある。彼女の場合、丁寧な仕事をしつつも、搾取してくる相手とはきっちり関係を断っていた。


ところでお金を沢山稼いでいる人も、SNSやyoutubeで承認欲求を満たしている人も、どうやらお金やいいねや視聴回数だけ稼げていれば満足なのかといえばどうやらそうでもないらしく、

金銭欲、承認欲求が満たされると、人間は「人に喜ばれる行為」がしたくなってくるものらしい。Twitterでお金を配りまくるお金持ちの人やYoutuberを見ていると、そういうふうな仮説をどうしても思い浮かべてしまう。そういう人の真意を詳しく聞いたことがないのであくまで想像だけど。

十分にお金を手に入れた結果、十分に他者からちやほやされた結果、「人に喜ばれることをしたい」というところに行き着くのだとしたら、最初っから「人に喜ばれること」に没頭して、お金や承認欲求はそのついでに得られればいいな、くらいの脇役ぐらいがちょうどいいのではないだろうか?

そう考えると、お金を稼ぐことに没頭できなくても、承認欲求を稼ぐことに没頭できなくても、むしろそれは雑念が少ないという意味でラッキーだと考えることもできる。

しかもこの「相手が本当に喜んでくれる価値を提供する」センスと技術は、磨くのにけっこう時間がかかる。正直、お金だけ稼いだり、承認欲求だけ稼ぐのはむしろ非効率的だ。

いずれ必ず必要になる「目の前の人を喜ばせる」スキルをひたすら磨くことに没頭して、お金はついでに稼げばいい。

実はお金を稼ぐことに興味がないほうが、最終的には得になるのだ。

もしいま、お金を稼ぐことに集中できないのだとしたら、何が雑念になっているのか考えてみると、自分が本当に求めているものが見えてくるかもしれない。

読みたい本がたくさんあります。