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感動した文章は写経する

自分はたまに「写経」をする。

あまりに感動した文章に出会ったとき、その文章の息づかいというか、単に読んだだけでは気づかないことを細かく吸収したくて、その文章をそのまま書き写す、ということをやる。

そんなの意味あるの、と思うかもしれないがこれがもう、とんでもなく発見が多い。今回、糸井重里さんのこの文章がいいなぁーと思ったので、パソコンで画面の左にこのツイートを置き、右にnoteの新規ノート作成画面を開いて、ポチポチタイピング写経した。

写経しながら、考えたことをかっこ()書きでメモして、後で読み返す。今回のメモはこんな感じ。

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考え方としての共感を呼びやすい考えなのだと思う。(一行の文字数、短い)

「思ったことをどんどん言わない文化」ということかな。(どんどん、に何かしらの意図を感じる)

たぶん、(「たぶん、」という表現いいな。読点によって生まれる空間も含めて)

肯定してしまうことになる、と考えられてしまうだろう。(「しまう」重なってる。糸井さん的に、同じ表現繰り返すの気持ちわるくないのかな)(あと糸井さんてカギカッコけっこう使うんだなぁ)

しかし、あえて冒険的にワタシは言ってみよう。(冒険的に、という表現いいなぁ。強めのことを言うときに使ってみよう)

想像以上に多いのではないかと、ワタシは思っている。(糸井さんは自分のことをワタシ、とカタカナ表記なのか)

ワタシは、「思ったことをどんどん言う文化」による
一定のよい(「よい」なのか。「良い」「いい」でもなく)効果も認めてはいるのである。

「言う」については、「やさしくね」と言いたいのだ。(もうこれだな。この文章の肝はここだよな。やっぱコピーライターだなーすげぇなあ)

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
誰かに言ってるんじゃなくて。そういう文化に言ったの。(このP.S的な一文の使い方は発明だよなぁ)

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写経していると、糸井さんの文章は本当にひらがなが多いな、ということが体感でわかる。

タイピングしていると、このあたりは一息で書いたんだろうなぁとか、あ、このあたりはけっこう、考えて書いたのかもな、みたいなのがわかる。指がするする行く箇所と、行かない箇所があるのだ。

それと「この部分はちょっと感情が高ぶって書いたのかもなぁ」とか、感情の動きも何となく想像できる。

写経、めっちゃ面白いし勉強になるので試してみてほしい。


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