塾の教師

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最近の記事

第111〜愛を担ぐ〜

皆、愛はインタラクティヴなものだと思っているだろうし、事実そうであることを望むのだろう。 しかしそれを望めば望むほど、相互的な愛からはどんどん遠ざかっていくような気がしてきて、 「私があなたを愛したところで、あなたに何の関係があろうか。」というスピノザが言った言葉を、最近はよく噛み締めている。 愛よ潔くあれ。とにかく潔くだ。一方的というよりも、それは片務的である。愛される幸福を求めずして、愛せることそれ自体が有り難い。 幸福な終わりを迎える恋愛などありはしないだろう。

    • 第110〜ワセダ恋しい〜

      面白い人と出会いたい。魅力的な人間に出会いたい。それが生活の1番の充実だ。 早稲田に帰りたい。早稲田で生涯を閉じたい。それが人生の終わりの幸せだ。 雑談をしながら思い出したことがあった。中学生の頃からの私の最期の目標は、私のこの体に流れている血を私で終わりにすることだったのだ。こんな家系に生まれる不幸を味わうのは自分で最後にしよう。そのために両親も親類縁者も一切捨てて、独りで生きていくことを誓ったのであった。 どうせ私など、誰も知らないところで老いぼれて独り死んでいく。

      • 第109〜教室を作る努力をしろ〜

        今日もまた30分雑談をしてしまった。というのも、雑談のみで終わってもいいという声が開始冒頭で飛び出てしまい、つい調子に乗ってしまったのである。 今日はたまたま『徒然草』を扱う日で、しかも死についてのテーマであったこともあり、となるとやはり第155段の話をせねばならず、 についての話に展開してしまった。 そのせいで、仙台駅のペデストリアンデッキで落としたティッシュを拾ってもらった話や、ドリフの「志村、後ろ後ろ!」や、廊下スライディングなどの雑談を長々としてしまった。 い

        • 第108〜like a rocker〜

          久しぶりに長く雑談をした。といっても30分である。今の教室では、どれだけ続いてもそれくらいが限界だろう。無論限界とは、自然ともたらされるのである。教室の反応と空気によって千差万別である。私の話を引き出すのは、常に生徒諸君の具体的なリアクションをおいて他にない。事実、50分とか雑談していた教室も過去にはあるわけだ。 「人はなぜ歌うか」ということについて、まあいつもの話である。混沌からの救済としての「型」。その秩序が歌の「姿」であるというようなことを淡々と語るわけだが、私は必ず

        第111〜愛を担ぐ〜

          第107〜ギリギリの戦い〜

          体調が悪すぎた。卒倒しそうな状況で必死に言葉を紡がねばならず、しかしこれは一切、体調管理ができぬ酔っ払いの私が悪いに決まっている。猛省である。 私に会いたいという気持ちを持って関東に来ようとしてくれる学生がいる以上、少なくともその日までは私は死ぬわけにいかない。そう思える。やはり人間は複数形として生きるのである。 読書が全くできていない。夏期講習に突入してから凡そ1ヶ月も、そんな怠惰をかましている。 先生の授業がなくなったら、塾がつまらなくなる。生徒がそんなことを言って

          第107〜ギリギリの戦い〜

          第106〜久しぶりに、飲んでカラオケに行った〜

          早稲田の街の本屋で、私もほとんど毎日通い詰めた文禄堂が、9月16日を以って閉店するらしい。 早稲田の街で私の思い出にある店が閉店するというニュースは他にも幾度か伝聞してきたが、そのたびにやはり寂しくなる。 文禄堂は私が入学した頃はまだ「あゆみBOOKS」という店名で、確か大学3年か4年になった頃に店名を変えたのであった。文禄堂という店名にはついに馴染めず、私にとってはいつまでも「元あゆみBOOKS」であった。 別に大した本が並んでいるわけでもないが、そこにあるということ

          第106〜久しぶりに、飲んでカラオケに行った〜

          第105〜レールはその手で〜

          国家的に用意されたレールの上を無思考に滑り続けてきた人に面白い授業はできるのか。多感すぎるほど多感な青少年らを触発するような話はできるのか。 人生はザラついている。そのザラついた手触りを知ってこそ有意義な人生だろう。必ずしも順潮ならざる人生を歩むがゆえの摩擦による抵抗は、前進しようとする私たちを引き留め、そこで立ち止まって私たちに思考することを促す。その思考は確かに煩悶や苦悩に満ちているだろう。が、その混沌に向き合うときこそが、理性の立ち上がる瞬間なのである。理性は混沌に秩

          第105〜レールはその手で〜

          第104〜舐めんな〜

          「わかりやすさ」をアピールするような授業が昔から大嫌いである。これは教師になって授業をする側になってからだけではない。授業を受けていた学生の頃から変わらぬ思いである。 尤も、わかりにくい授業が好きだったというわけではない。わかりにくい授業というのは、教師自身の理解が足りないか、或いは教師の頭が足りないかである。教えている教師自身がよくわかっていないと、その授業はどうしたってわかりにくくなるに決まっている。 反対に、教師自身が教える内容を深く理解している授業は、たとえ難解な

          第104〜舐めんな〜

          第103〜patience〜

          もう連日、体調が優れないままでいる。 学生時代に懊悩を抱えるのと、社会人になってからそうなるのとでは、性質がまるで異なる。学生の頃であれば、時間をとことん浪費して悩むことができた。私の具体的な悩みに救済を与えてくれるような本を探し回ることができた。私は、すがりつくようにして言葉を求めた。しかし、今はもうそんな暇はどうしたって作りようがない。要するに時間が無いという点に尽きる。 しかしその時間の無さが救いに変わることもあるだろう。目の前のことに専念すると余計なことを考えずに

          第103〜patience〜

          第102〜狂え、この世は夢だ〜

          ダメだ、授業中でさえ頭の中が占領され朦朧としてしまう瞬間がある。ここまで酷い状況に陥ったのは初めてだ。思い出が、記憶が、私を虜にして我を失わせる。意識半分、半ば放心状態で喋ってしまう。 いや、かかる状況は本来なら幸せをもたらし、相手への没入感は充実の最高潮を感じさせるはずだろう。だのに今は、苦しくて仕方がない。 もしこれが、届かぬ思いの一方通行から来ているならば、そして恐らくそうであるに違いないのだが、それは私のエゴイズムでしかあるまい。 エゴイズムの克服ということが、

          第102〜狂え、この世は夢だ〜

          第101〜仕事に行きたくありません〜

          レベルの高い学生に教えたいという気持ちが、お盆休みの帰省を経て一気に膨れ上がって来ている。 確かドゥルーズであったか、「講義とはロックのコンサートだ」と言ったのは。その比喩の意味は詳しく知らないが、もしそれが、「講義とはその内容如何ではなく、そこに魂と全情熱を注ぎ込むことだ」というような意味であるならば、私はドゥルーズに心から感謝する。講義なぞ涼しい顔でするものではない。知っている者が知らぬ者の上に立ち安住するようでは、ただ知的に振る舞って見せるだけでは、そんな講義は誰の人

          第101〜仕事に行きたくありません〜

          第100〜我々は、恋に恋する〜

          お盆休み連日連夜の飲み食いによって、現在もなお身体の調子は回復していない。15日を最後の休日として、もう後は夏期講習へと回帰しなければならないわけであるが、そこまでにどこまで調子を取り戻せるか。予習もしなくてはならないが、安静こそ第一でもある。さらに、あの3日間の尊い記憶が、今も私を掴んで離さない。これから先もしばらくはそうであろう。 記憶は過去のものであり、過去とは文字通り既に過ぎ去ってしまったもののはずである。そして、近代という時代における時間が、年間を365等分に均質

          第100〜我々は、恋に恋する〜

          第99〜Thank you for〜

          あれだけ楽しみにしていたお盆休みの帰省も、いつの間に終わってしまうのだろうと嘆息しなければならいほどにあっという間の3日間であった。 尤も過ごす時間の密度は高く、お会いしてくだすった皆様には、心からの深い感謝を申し上げたい。私ごときとわざわざ会ってくださる方々には、本当に有り難い思いが尽きることが無い。 今はもう殆どしなくなって1年以上が経つ雑談を、学生たちにちょっぴりだけした。やり始めたらあとは勢いのままである。気づいたら調子が乗ってきてどんどん喋らせられる。2,3時間

          第99〜Thank you for〜

          第98〜甲子園〜

          9回裏2アウト、最後のバッターは惜しくも三振に倒れる。ピッチャーの投球は低めでバウンドし、キャッチャーは体で制した。ミットからはボールがこぼれているため、振り逃げ扱いとなる。そのためバッターは一塁へ向かってダッシュするも、キャッチャーからファーストへの送球は悠々と間に合いアウトだ。しかし、ボールはとっくにファーストに送られているにもかかわらず、バッターは一塁ベースに向かってヘッドスライディングをした。その最後まで諦めない姿勢が、観客の胸を突く。 最後の打者のヘッドスライディ

          第98〜甲子園〜

          第97〜I love you〜

          7時間半かけて電車を乗り継ぎ到着した。 どうしても座りたいのだろう。並んでいるところを、電車の扉が開けば忽ち後ろから抜かしてまで侵入していく。人間の強欲を見た。 車内でおにぎりを食う乗客が、たまたまかもしれないが同じ車両に2人もいる。 乗り継いだ先の電車では、スマホゲームに夢中になる中学2年生4人組と一緒になってしまった。にゃんこ大戦争で盛り上がっている。周りの顔も気にせず五月蝿い。トンネルに入り扉のガラスに写るガキどもの顔を見てみると、案の定といった顔つきである。クソ

          第97〜I love you〜

          第96〜ヒャッホイ!休みだ休みだ!〜

          明日からお盆休みである。ここ数日はもうそのことで脳内はすっかり占有し尽くされていた。そしていよいよ待ち侘びた日の到来である。つい小躍りを刻んでしまいそうになる。ただ、歓喜の小躍りもこの辺にしなければならない。明日からの準備に取り掛からねばならぬこともあるが、何より、明日の交通手段が未だに決まっていないのである。 お盆休みの新幹線の混雑具合は大変なものだ。早くからチケットを予約していれば席を取れるのだろうが、そんな段取りができるほど計画的な人間ではない。朝イチの新幹線でさえも

          第96〜ヒャッホイ!休みだ休みだ!〜