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【映画rie】ウクライナで撮影された『ひまわり』近くて遠い、あちらとこちら。

ロシアによるウクライナ侵攻のニュースとともに、映画ひまわりをこのタイミングで観よう、という記事が流れてきた。


地元での上映を見逃したため、自宅で鑑賞。
恥ずかしながら、今まで何度トライしても寝てしまった一作で(そんなのばっかりです。。)何度目かのトライ。テーマ曲がメロドラマ的なので、ウェットなのかと思い込んでいたけど、それは全く違った。

冒頭部、二人の結婚前、結婚後まではむしろコメディ的で、頭の中に思い描く、イタリア人の陽気な恋愛そのもので、手際よく二人の関係を描いていく。この部分があまりに輝かしいので、一般市民だった男が"兵士”に させられていく過程が身につまされる。他人事から自分事として、引き込まれた。

見るまでずっと勘違いしていたのだけれど、夫が戦地で恋愛して新しい家族を作ってしまい、結果的に妻と破局、裏切り。男ってほんとやーね的な映画かと思っていたら全く違っていて。

極寒の戦地で行き倒れた夫は、現地の女性に助けられ、生死を彷徨ったのち結婚へと至る。あまりの極限状態で、途中まで夫は記憶がなかった。生き延びようと必死だった結果の結婚。これが夫側の視点。

このウクライナのひまわり畑の下に沢山の戦没者が眠っているという。


妻側の視点は全く別で。

夫は戦死していないと いう女の勘と気力で、戦後も夫を探し続ける。この女の勘と気力。という、ふわっとしがちな部分を、ソフィア・ローレンが体現すると説得力は200パーセントに跳ね上がる。これが女優なのね。

恋に恋する新婚期から待ちくたびれた中年期まで、生活感を伴った佇まいが素晴らしかった。待ちに待って、探し出した挙句、夫には妻と子がいると知る。彼女にとってみれば、裏切り行為、ひどい仕打ちでしかない。

この二つの視点があることで、どちらにも言い分があり、どちらも悪くない事が描かれる。戦争は終わった。しかし人生は続き、取り返しのつかない事態の責任を誰もとってくれず、個人で引き受けねばならない悲劇が重い。戦時の"国” の身勝手、取り返しのつかなさの描き方が100分程でバシバシ伝わる。

以前見て衝撃だった1961年のフランス映画 "かくも長き不在"

似たテーマで、胸を打たれた名作。こちらもやはり、妻が夫を待ちながらカフェを営む戦後。ある時期から、カフェや町外れを ふらふら歩く浮浪者風の男が現れる。その男は過去の記憶がないらしい。そして…容貌は だいぶ変わっているが、夫によく似ている。。。

撮り方も職人技が光っていてシャープで素晴らしかった。
特に川の使い方がうまかったのを覚えている。

川の流れの 巡行と逆行の見せ方で、現在と過去の記憶の分断をビジュアルで上手く描いていたし、"妻の住む世界"と"男の住む世界”の隔たりも、大きな川を中心とした世界観にすることで 一目瞭然だった。一度彼岸を見た者が、こちら側に戻ってくる むつかしさ。近くて遠い。

カウリスマキの過去のない男。にも近い雰囲気があったし、川を挟んでの分断で言えば、私の大好きな邦画 "洲崎パラダイス・赤信号" も似た世界観だと感じた。どれもたがいに影響しあっている、ような気がする(独断です。似てて好きってだけです。)


戦後の悲劇、一市民が一市民に戻れない。"あちら"から、"こちら"に どうしても戻れない。そんな出来事が いつもどこかにある事。戦争に勝った負けた。そんなに単純ではない事。知った気になっているけど…自分事として時々は追体験を試み、感情レベルでの共有を試み…想像する事。。。


戦闘の描写がなくても 戦争とは何なのか。知る手がかりは あります。謝謝

ひまわり』( I Girasoli )1970年公開
イタリアフランスソビエト連邦アメリカ合衆国合作
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
80点

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