見出し画像

なんで水産業で起業したの?起業の裏側

もともとの僕のキャリアはUXデザイン、サービス企画、デジタルマーケあたり。業種としてはコンサル→教育。水産業とは全然関係ないキャリア。高校生物は好きだったし、センターで満点とるくらいには勉強もしたけど、大学で特に専攻していたわけではない。人脈も知識も何もなかった。「じゃ、そもそもなんで水産業で起業したの?」とよく不思議がられる

ビジョンについてはコチラに書いているけど、もうちょっとディープで個人的な話を求められるので、今回はその辺のことを書いてみる

「ノリと勢いです!」と言ったら呆れられた

とはいえ「なんで水産業で起業したの?」という質問に実は毎回困る。なぜならその質問に直接的に答えると、「ノリと思い付き」だから…

以前の会社の同僚と久しぶりに呑みに行ったときに「魚ってうまいよね」「最高だよな」みたいな話で意気投合した。スキルとしても企画×エンジニアで相性もよさそうだったし、その場のノリと勢いで水産業のことを調べ始めることにした。ちなみにその彼が今もプロダクトを開発してくれている。

なので、直接的なきっかけ自体には大して面白いエピソードがない。キラキラしたストーリを期待している人はそう言われるとどうも勝手にガッカリするらしい。本気度がないとか短絡的だとか変な勘違いをする人すらいる。

ただいろいろ調べたり考えたりする中で大きくなった想いもあるし、そもそも魚の事業をノリだけでやろうと思って突っ込んだわけでもない。背景もあるので、そのあたりの話を書いてみる。

余談だけど、「始めようと思った背景?はぁ…思い付きですね」とVCの人に答えたら結構ポカーン( ゚д゚)とされて「あ、これやばいやつだ」と思った。みんな原体験的なことをちゃんと話すらしい笑 言語化大事…


食×死生観が今のビジョンの根底にある

食:おいしい魚が食べたい。本当においしい魚を食べられるとそれだけで幸せだなと思える。これからもこの国でその体験を重ね続けたい。今のままだといつかおいしい魚は食べられなくなる

死生観:人生は有限だし、死ぬときに思い出すのは家族や恋人などの身近な人たち。感謝や愛情を伝えあう時間が人生を豊かにする。食卓を囲む時間もそんな時間のひとつ。夢は実現できると娘に証明したかった。

食と死生観のそれぞれの原体験みたいなものが僕個人の価値観を形成していて、それが今のビジョン「おいしい魚が食卓に並ぶ「当たり前」の日々を次の世代につなぐ」につながっている

ビジョンについてごにょごにょ書いているnote ↓


食 ーおいしい魚を食べると超幸せを感じる

北海道の100円寿司に感動する

もともと広島の生まれなのでそれなりに魚は食べていたけど、どこの店で食べても魚は同じようなものだと思っていた。築地の寿司屋に朝5時から並んで5000円の寿司も食べにいったこともあるけど、正直大してうまくない、普通だと感じた。

でも北海道に行ったときに入った100円の回転寿司で魚のイメージが180度変わった。ここの回転寿司で魚がうまいとはどういうことかを初めて理解した。おいしすぎて感動した。

同じ魚でも味が全然違うことに衝撃を覚えた。そこから魚が好きになり、旅行に行くたびに市場に足を運ぶようになった。魚を食べる頻度も増えた。

「おいしい魚を食べると感動するし、幸せだよね」というのは僕の価値観のひとつになっている。その辺についてごにょごにょ書いたnote↓

カナダの日本食にはイマイチ満足できなかった

受験勉強で僕は英語が超絶苦手だった。文字通り泣きながら勉強した。たださすがに社会人になってからも英語から逃げ続けるのは難しいと思い、ワーキングホリデー制度を使って1年間カナダにいくことにした。

当時は体育会所属の居合道部(日本刀を使った型武道)に所属していた。カナダに行こうとした大学3年は幹部になる大事な年。何を考えているのか、思い留まれと諭されたけど、無理やり押し切った。ちなみにその僕はおかげで前代未聞の除名処分になった。容赦ない。

ところでカナダは歴史的な背景と文化的な背景からあまり郷土料理というものがない。カナディアン料理って聞かないですよね。グレイビーソースくらい?国としても多国籍国家なので、ギリシャ料理やイタリア料理などいろんな国の料理が楽しめる国でもある。食事はおいしい。

もちろん日本食だってある。寿司の店もある。ただどこもとにかく高い。日本の1.5倍くらいする。そしてその割に味は普通。まずくはないけど、特別おいしいとも感じない(日本と比べて)

その体験が何とももどかしくて、物足りなかった。日本食が猛烈に恋しくなった。北海道で食べた魚のおいしさの感動は日本に帰らないと味わえないんだと悟った。カナダから戻ってきて日本に住み続けることにしたのはおいしい魚が食べたいからだった。

日本の食料自給率の低さは重要な課題

そんな自分の好きな魚を今後も食べ続けられなくなるかもしれないと感じたのはロシアがウクライナ侵攻をしたときだ。

ウクライナショックで多くの食品が値上がりした。このことから僕たちが学ぶべきことはどの食品がどれくらい上がったかではない。食料自給率が低い国はリスクに物凄く弱いということだ。食は命をつなぐ基幹産業。絶対に軽視できない。食糧危機はこれからも起こる。

DAOだ、NFTだいっても本質的に人は食べ物を食べないと生きていけない。何を食べるかは大事なことだ。せっかくならおいしいものを食べたい。

栄養バランスの悪いものしか食べられないと病気になる。病気を予防するために保険に入る。保険料が生活を地味に圧迫し、さらに食費が削られる…無限ループ。そんなんじゃ食を通して幸せや喜びなんて感じられない。

いま世界6位の海岸線を持ちながら海の資源を活かしたタンパク質摂取を「なんとなく」という理由で日本人は選ばなくなってきている。魚の消費量は下がり、購買金額も下がり、生産者は減り、高齢化が進む。もはや食用魚介類の自給率は57%だ。

当たり前に思える日本の魚食文化の未来は実は危機的な状況にある。日本の魚がおいしさは漁師や物流、小売の人たちの努力の上に成り立っている。当然そういう人たちが減っていくといずれこの仕組みも維持できなくなる。

養殖事業は新規参入しようと思っても初期の設備投資が重く、なかなか入っていきづらい。数千万規模でお金が必要になる。漁業権ももらわないといけない。急に養殖生産者が今すぐ増える未来は想像しづらい。だからこそこのまま養殖事業を衰退させ続けてはならない。

本気で今水産業の課題に向き合わないと、この国の未来も自分たちの食の未来も守ることなんてできない。


死生観 ー有限な人生をどう生きたいか。家族と幸せな瞬間を共有できる時間を増やしたい

洪水で死にかける

ここまでは「うまい魚が食べたい」という欲望ベースのことを書いてきたのだけど、他にも起業の背景になっているエピソードがある。それが人生観や死生観に関わるものだ。

カナダで滞在しているとき、大きな出来事があった。それが洪水。当時ホテルの清掃の仕事をしていて、その日も地下のスタッフルームで寝ていた。そしたら朝6時前、急に泥水が滝のように物凄い音と勢いで入ってきた。大雨で川が氾濫したらしかった。

同僚が起こしに来なかったら文字通り死んでいた。本気で「あ、俺死ぬんだ」と思った。たかが洪水でしょ?と思う人は水の怖さをなめない方がいい。泥水の中を着衣水泳するのってマジで怖い。ソファーやベッドが水に流されて壁を突き破るくらいの強さの水流。他の部屋からもモノが流れてくる。電気もショートしかけて点滅するし、タイタニックなのかなと。一気に水位上がるし、全然泳げない。天井に水が達するまでに階段にたどり着かなかったら、それは死ぬということ。

自分の身体以外ほとんど何も残らなかった。身寄りのない自分(もはや難民)をしばらく家に泊めてくれたホテルの同僚には今でも感謝している

死にかけるとき思い浮かべたのは大事な人たちのことだった

死ぬかもしれないときに何を考えるかその時わかった。キャリアとかスキルとかお金とか地位とか学歴とか本当にそんなことは全然考えない。大切な人の顔がただただひとりひとり思い浮かんでくる。親は元気だろうか、育ててくれてありがとうって伝えておけばよかった、彼女は自分が死んだと分かったらどうなっちゃうんだろう。家族や恋人、友人。身近な人とのつながりを死に際に感じる。きっと「死ぬときに大事な人たちが自分の頭の中で笑ってくれているか」が人生の善し悪しを最終的に決めるんだとその時思った。

人生は有限だ。結局いつか死ぬ。明日自分の命がある保証なんてどこにもない。できることを、やりたいことを常に最大限やらないと後悔する。感謝や愛情の言葉は死ぬ瞬間に後悔しないようにちゃんと伝えた方がいい。

そういう経験があるから、家族の時間は大切にしたいと思うし、家族の時間はできるだけ豊かなものになるといいなと思っている。それは自分だけでなく、周りの人にとってもそうであるといいなと願っている。

この事業を立ち上げようと画策した時期はコロナ渦中だ。家族の距離も離れがちだった。家族同士が繋がりを感じられる文脈を増やしたかった。

娘に誇れる道を選びたい

2020年に家族が一人増えた。娘が生まれた。娘と過ごす時間が増えた。会社員として働き続けて本当に自分のことを父親として今後も誇り続けられるか自信が持てなくなってきた。

やりたいことは実現できる。世界は変えられる。人は誰かの役に立つことができる。周りの人は力になってくれる。助けてくれる。誰かが笑顔になってくれると自分も幸せになれる。

そういうことを娘に伝えたいと思ったときに、自分が生きる道は会社員ではなく、起業家であるべきだと思ったし、そうなりたいと思った。もうちょっとごにょごにょ書いたnote↓


まとめ ーなぜ起業し、どこを目指すか

食×死生観がビジョンにつながっている

そんなことで、食×死生観から今のビジョンが生まれた。ビジョンについてごにょごにょ書いているnote ↓

生産者の人たちにとにかく役に立ちたい

ビジョンを掲げて動き始めたことでいろいろと見えるようになったこともあるし、自分の心情にも少し変化があった。それは役に立ちたい人たちと出会ったということに尽きる。

役に立ちたいと本気で思っている生産者の人たちがすでに何人もいる。開発に協力したりアドバイスをくれたりする生産者の人たちもいる。

彼らは赤潮や疫病、洪水などの天災にも頭を抱えながら、朝から晩まで毎日魚と真剣に向かい合っている。肉体労働も多いし、暑い日も寒い日もある。それでも毎日魚と対峙している。

だったら、僕たちも彼らの不断の仕事に真剣に向き合わないといけない。役に立たないといけない。利益が何万円でも何億円でも究極どうでもいい。とにかく今向き合っている人たちが「マジで養殖経営が変わった!」と言ってくれる瞬間が来たら、超気持ちいいはず。それが今のモチベーションになっている。

養殖を最先端でイケててカッコいい仕事にしたい

ITも業務ツールも手段であって目的ではない。今は生産管理から始めているけど、最終的には肉体労働で時代遅れで休みがないみたいな養殖業界のイメージを刷新したい。

データを使った経営でイノベーションを起こす。彼らの売上を上げ(単価を上げる)、コストを抑えることで利益がきちんと残るようにする。

最先端のことにチャレンジできて、人の生活も根幹から支えられて、収入もしっかり稼げて、シフト制でちゃんと休めて、キャリアにもプラスになる経験ができて。そんな若者が憧れるようなカッコいい仕事の象徴に養殖の仕事を変えていきたい(今もすでにカッコいいけどそう認識されていない気がするという話)

そうやって養殖に携わる人が増えて、業界として元気になっていくことを目指している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?