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「感情を出せ」と言われたあの日から
2023年12月24日(日)朝の6:00になりました。
答えはきっと奥の方、心のずっと奥の方。
どうも、高倉大希です。
子どものころは、サッカー部に所属していました。
とある試合でゴールを決めたとき、監督からこんなことを言われました。
「もっと喜べよ」
けっこう驚いた記憶があります。
なぜなら、喜んでいたつもりだったからです。
喜んでいたのに、もっと喜べと言われたのです。
数人で海に行く機会があると、その中の誰かに必ず云われる言葉がある。「海が似合いませんね」ええ、まあ、と曖昧に微笑みながら、内心は傷ついている。ああ、また云われちゃったよ。
驚いた一方で、監督が言わんとしていることも十分に理解できました。
昔からあまり、感情が表に出るタイプではありません。
ゴールを決めたときに飛び跳ねる友人と比べれば、喜んでいないように見えたのでしょう。
ただ、自分が飛び跳ねたとしたら、それはもはや嘘になります。
せっかく喜んでいるのに、嘘をついて大袈裟なリアクションをとらなければならないのだろうか。
このころから、感情が出ないということについて考えるようになりました。
彼が僕にしつこく干渉していた理由は、同じ直樹という名前だったからだと、事後処理をする大人達の会話で知った。先生が僕のことを、「直樹」と呼ぶのを聞いて、自分の名前を奪われると不安になったのかも知れない。その後、彼に怯えることはなくなった。僕を嫌う理由が分かったからだ。
感情を出せ。
こう言ってくる人たちはきっと、相手に対してわかりやすさを求めています。
相手の感情を読み取って、自分が安心したいのです。
自分がいかに読み取るかではなく、相手に出すことを要求します。
相手が感情を出してくれれば、読み取る努力をする必要がなくなります。
感情を出してくれなきゃ、自分が困ってしまうわけです。
「みんなが容易に(自分と)同じ気持ちを共有できるはずだ」と安易に考えてしまう日本人の多くは、自然に持つものである「気持ち」というものと、努力によって人工的に作るものである「ルール」というものとの区別がつかないため、まず「ルール」と「モラル」の混同という重大な事態に陥ります。さらに、その「モラル」とは、「自分のモラル」であり、多様性を考えようとしないという傾向があるようです。
そもそもを辿れば、出し方以前に、感情そのものが人によってちがいます。
自分が知っている感情に、相手の感情が当てはまるとは限りません。
やはり、「感情を出せ」という言葉はすこし乱暴な気がします。
「自分が知っている形に合わせろ」と、言っているのとおなじです。
ただ、その言葉の裏にあるのは「相手の感情を理解したい」という思いです。
わかり合えないことを前提に、歩み寄れたらよいのになと思います。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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