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言葉は曲がる


2024年8月25日(日)朝の6:00になりました。

姿は似せがたく、意は似せ易し。

どうも、高倉大希です。




思ったことを、そのまま書けばいいんだよ。

鉛筆を握る子どもに、大人がこう助言します。


そんな言葉を耳にするたびに、いつもこう思っていました。

思ったことを、そのまま書けるわけがないでしょう。


言葉にした時点で、どこかにはズレが生じます。

わたしたちには、思っていることに限りなく近い言葉を選ぶことしかできません。


ことばを使うということは、究極の編集行為のようだと感じています。つまり、ことばというのは、資格や聴覚や触覚など、あまたある外界の刺激のある部分をぎゅっと抜き出して表現します。

為末大、今井むつみ(2023)「言葉、身体、学び」扶桑社


何かを食べたときに感じるのは、味であって言葉ではありません。

「おいしい」という言葉がいちばん近いから、「おいしい」を選びます。


だからときどき、無性にもどかしくなります。

もっとも近いであろう言葉でも、近づき切れないことがあるからです。


この言葉でしか、表せない。

でもたぶん、その言葉ではないのです。


「マインド」や「エスプリ」のような概念は、「鳥」や「バラ」の概念と同様の意味で自然ではありえない。自然でないからこそ、言語によって概念領域に違いが生じるのだ。

ガイ・ドイッチャー(2022)「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」早川書房


ましてや言葉は、外部の影響を受けやすいものです。

相手との関係性やその場の空気によって、選ぶ言葉が変わります。


あなたに、会いたい。

ただそれだけなはずなのに、ごはんでも食べに行こうよと誘います。


ズレているということにすら気づかないままに、その言葉をつかっている。

わりと、よくある話です。


何が具体で何が抽象かというのは、絶対的なものではなく、お互いの関係性で成り立つものです。つまり、「具体と抽象」という言葉自体が「相対的な関係性」を示す概念であって、絶対的な具体性や絶対的な抽象性があるわけではありません。

細谷巧(2014)「具体と抽象 世界がわかって見える知性の仕組み」dZERO


だからこそ、フラットに言葉を選ぶ人は素敵だなと思います。

簡単に匙を投げずに、できるだけ近い言葉を探します。


そういう意味でも、対話における沈黙は大切な時間です。

「気まずいから間を埋めよう」から生じる言葉は、大抵無自覚に曲がっています。


まっすぐな言葉を、つかえるようになりたいものです。

そのための第一歩は、言葉は自動的に曲がるものだと自覚しておくことです。






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