言葉は曲がる
2024年8月25日(日)朝の6:00になりました。
姿は似せがたく、意は似せ易し。
どうも、高倉大希です。
思ったことを、そのまま書けばいいんだよ。
鉛筆を握る子どもに、大人がこう助言します。
そんな言葉を耳にするたびに、いつもこう思っていました。
思ったことを、そのまま書けるわけがないでしょう。
言葉にした時点で、どこかにはズレが生じます。
わたしたちには、思っていることに限りなく近い言葉を選ぶことしかできません。
何かを食べたときに感じるのは、味であって言葉ではありません。
「おいしい」という言葉がいちばん近いから、「おいしい」を選びます。
だからときどき、無性にもどかしくなります。
もっとも近いであろう言葉でも、近づき切れないことがあるからです。
この言葉でしか、表せない。
でもたぶん、その言葉ではないのです。
ましてや言葉は、外部の影響を受けやすいものです。
相手との関係性やその場の空気によって、選ぶ言葉が変わります。
あなたに、会いたい。
ただそれだけなはずなのに、ごはんでも食べに行こうよと誘います。
ズレているということにすら気づかないままに、その言葉をつかっている。
わりと、よくある話です。
だからこそ、フラットに言葉を選ぶ人は素敵だなと思います。
簡単に匙を投げずに、できるだけ近い言葉を探します。
そういう意味でも、対話における沈黙は大切な時間です。
「気まずいから間を埋めよう」から生じる言葉は、大抵無自覚に曲がっています。
まっすぐな言葉を、つかえるようになりたいものです。
そのための第一歩は、言葉は自動的に曲がるものだと自覚しておくことです。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。