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世界中の全員に嫌われているわけがない


2023年10月27日(金)朝の6:00になりました。

すべては何かのイチブってことに、ぼくらは気づかない。

どうも、高倉大希です。




人とのコミュニケーションが、無性にめんどくさくなるときがあります。

なにを言っても仕方がないやと、諦めてしまいたくなります。


相手には、言葉を合わせるつもりがありません。

そういうことじゃないんだってと思いながら、時間だけが過ぎ去ります。


こんなことなら、もう誰とも話したくない。

そう思ってしまいます。


服装・頭髪規定を全廃したことより、なによりも、言葉が通じる先生がいることが衝撃だったのです。「そんなバカな」と思うでしょうか?でも、今の話題なら「どうしてツーブロックの髪型は校則違反なんですか?」と問う高校生に「そんなの高校生らしくないだろ!」と言い放つ先生とは、言葉は通じていません。会話になってないのです。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


個人的には、これを「一部を全部だと思い込んでしまう現象」と呼んでいます。

言葉を合わせる気がないその人は、あくまでも一部でしかありません。


たまたま近くにいたから、大きく見えているだけです。

すこし離れたところには、言葉を合わられる人がいくらでもいます。


一部がめんどくさいだけで、全部がめんどくさいわけではありません。

誰とも話したくないと思うには、明らかにデータが不足しています。


事実 — ファクトという言葉はもともと「つくられたもの」という意味ですからね。つくるのは誰かと言えばそれにふれた人間でしょう。

吉本隆明 、江藤淳(2017)「吉本隆明 江藤淳 全対話」中央公論新社


アンチコメントなんかもおなじです。

一部のひどいコメントに、いちいち傷つく人がいます。


世界中の全員に嫌われている。

こんなことを言いはじめる人もいます。


気持ちはわからなくもないですが、そんなわけがありません。

「一部を全部だと思い込んでしまう現象」に支配されているだけです。


年齢を問わず、みんなで探求するコミュニティをつくり上げること。それがこれからの学校のあり方だというビジョンを描きました。それは「社会の一因として必要な資質を身につける場」という学校の古い意味を「自分が変わり続けるために行く場」という新しい意味へと変えることを意味します。つまり、「社会が自分を変えるための場」であった学校を「自分が社会を変えるための場」へと意味を逆転させるイノベーションです。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


社会はあなたが思っている以上に、うんと優しいです。

世界はあなたが思っている以上に、うんと広いです。


目の前のものは、大きく見えます。

大きく見えるのは、あなたがそこに立っているからです。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。