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感動したらひと晩冷ます


2024年5月27日(月)朝の6:00になりました。

月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちてゐた。

どうも、高倉大希です。




なんて、すばらしい本なんだ。

なんて、すばらしい人なんだ。


そんな出会いがあったときは、必ずひと晩冷まします。

場合によっては、ふた晩冷ますこともあります。


一時の熱ほど、恐ろしいものはありません。

その熱が、ずっと続くとは限りません。


人間は目先の問題状況を解決しようと試行錯誤しているうちに、いくつもの暗黙の認識にとらわれ、問題の本質を見誤ったり、問題をすり替えてしまったり、特定の偏った認識から別の新たな問題を生成してしまったり、無自覚のうちに“自分本位”に問題を解釈してしまう生き物です。

安斎勇樹、塩瀬隆之(2020)「問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション」学芸出版社


特定の何かに対して、心酔している状態はちょっとだけ危険です。

なぜなら、自然とそれ以外を否定するようになるからです。


自分は、気づくことができている。

その他の人々は、気づくことができていない。


はじめは、ただ感動しただけだったのに。

知らぬ間に、その他を見下すようになるのです。


集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかしそのような安心を生み出す集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を越えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


もしかしたら、カルト宗教のようなものをイメージしたかもしれません。

しかし、このような事例は生活の中に溢れています。


特定の芸人に心酔して、それ以外を「笑いがわかっていない」と言ってみたり。

特定のロックバンドに心酔して、それ以外を「音楽じゃない」と言ってみたり。


見下そうと思っているかどうかは、また別の話です。

何かに心酔した時点で、自ずと排他的になるものなのです。


人間は、絶対的な基準で決めることはまずない。ものごとの価値を教えてくれる体内時計などは備わっていないのだ。ほかのものとの相対的な優劣に着目して、そこから価値を判断する。

ダン・アリエリー(2013)「予想どおりに不合理」早川書房


どうして、あれほどまでに心酔していたのだろう。

そう思うようになるのは、時間が経過してからです。


もちろん、あえて心酔する道を選ぶこともひとつの手なのかもしれません。

ただそのつもりがないのなら、ひと晩冷ますことをおすすめします。


劇薬ほど、熱を帯びやすいものです。

劇薬ほど、我に返ったときに後悔します。






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