おもしろい人はみな恥ずかしがり屋
2024年2月5日(月)朝の6:00になりました。
すべての人間は、恥をかくために生まれてきた。
どうも、高倉大希です。
読み終わりたくない。
おもしろい本を読んでいるときは、いつもこう思います。
はやく続きを読みたいけれど、読んだらページが減ってしまう。
なんとも、複雑な感覚に陥ります。
あまりにも読みたくなくて、数ヶ月放置しているような本も中にはあります。
しおりを挟んで脇に置き、先にべつの本に手を出すわけです。
おもしろい本に共通していることが、ひとつあります。
それは、書き手が恥ずかしがり屋だという点です。
もちろん、実際に書き手と会って話したわけではありません。
きっと恥ずかしがり屋なのだろうなという、ひとりの読み手の推測です。
ただ、ほぼ間違いなく恥ずかしがり屋だと思います。
その恥ずかしさが、見事に文章に反映されているからです。
書き手の言いたいことが、登場人物の発言を介して描かれていたり。
間に挟まるギャグが、照れ隠しのような機能を果たしていたり。
そのまま表現するのは野暮で恥ずかしいから、ぐるっと迂回して書きます。
迂回しすぎた結果、ぜんぜん伝わらなくなるというのもわりとよくある話です。
基本的に、書くことなんてのは恥ずかしいことなのだろうなと思います。
あとはそんな恥ずかしさに、どこまで敏感でいられるかです。
恥ずかしさとは、言い換えるならば厳しさです。
おもしろい人は自分の表現に対して、これでもかというくらいに厳しい視線を向けています。
恥ずかしいから、書かないのではありません。
恥ずかしいからこそ、いかに書くかを考えるのです。
おもしろい人は、みな恥ずかしがり屋です。
そんな恥ずかしさを忌み嫌い、消し去ろうとしてしまっては元も子もありません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。