書く人なんて暗くて当然
2024年5月21日(火)朝の6:00になりました。
だいせんじがけだらなよさ、さかさに読むとあの人がおしえてくれた歌になる。
どうも、高倉大希です。
ペンを握って、ひとり黙々と何千字。
画面に向かって、ひとり黙々と何千字。
書くときは、いつだって孤独です。
こんな人間が、暗くないわけがありません。
書かずに済むのなら、それに越したことはないのかもしれない。
毎日書いていると、時々こんな気持ちになります。
「書くってね、自分と対話することなんだよ」
まさに、文は人なりです。
読んでもいないくせに、スキを押しやがって。
自分のフォロワーを増やすために、フォローしてきやがって。
note を読み漁っていると、こんな文章をよく見かけます。
鬱屈とした暗さが滲み出ていて、とても素敵だなと思います。
よーそこの若いの、俺の言うことを聞いてくれ。
俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。
竹原ピストルさんの『よー、そこの若いの』という曲の一節です。
書くことはある種、間違いの記録なのかもしれません。
誰の言うことも聞かずに、思い切り間違ってしまえばよいのです。
後になって恥ずかしいと思えたならば、それだけで万々歳です。
その点 note は、とてもあたたかいプラットフォームです。
自分が書いた文章なんて、誰も真剣に読んではいません。
大いに、暗くあればいい。
大いに、間違えてしまえばいい。
書く人なんて、暗くて当然です。
書く人なんて、間違えて当然です。
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