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どうでもいいが、ふえるといいね
2023年9月29日(金)朝の6:00になりました。
どうでもいいですよ、わたしだけでしょうか。
どうも、高倉大希です。
こんなはずではなかった。
どうして思いどおりにならないんだ。
想像していた未来とはちがう。
現実を認めたくない。
そんな思いが、人々を苦しめます。
苦しみは、怒りや悲しみに姿を変え、さらなる苦しみを呼んできます。
集中してたら勉強の才能も開かないよね。それをどんどん突き詰めて考えていくと、死ぬまでにいっさいのこだわりを全部削っておけば、すごくラクだということになります。自分のことも、家族のことも、いろんなことも、全部どうでもよくなっているか、あるいは忘れているといいんです。
そんなことは、どうでもいいんだよ。
恩師と話していると、よくこんなことを言われます。
投げやりになっているわけではありません。
話をてきとうに聞いているわけでもありません。
そんなことは、どうでもいいんだよ。
もっと大きな世界を見ているからこそ、瑣末なことなんて本当にどうでもいいと思っているのです。
大きなビジョンを描きなさい。たとえ自分が生きている間に実現できなくとも、円の一部にしかなれなくても、後に続く者たちがいつかその円を完成してくれる。
アリと比べればゾウは大きいですが、地球と比べればゾウは豆粒のようなものです。
ものごとの大きさは、相対的に決まります。
見ている世界が大きくなれば、どうでもいいことが増えていきます。
子どものころのこだわりを、手放しながら大人になります。
決して、一切のこだわりを捨てろという話ではありません。
むしろ、どうでもいいと思えることが増えるからこそ、こだわるべきところを正確に捉えられるようになります。
事実を作者のイメージから切り離して論じられるわけがないのです。事実 —— ファクトという言葉はもともと「つくられたもの」という意味ですからね。つくるのは誰かと言えばそれにふれた人間でしょう。
あらゆるものごとは、なにかしらの一部です。
自分という存在も、きっとなにかの一部です。
自分という存在がこの世の全体である限り、きっといつまでも苦しみます。
自分がゼロになるという恐怖に、打ち勝つことができないからです。
そんなことは、どうでもいいんだよ。
ひとつの自分なんて、どうでもいいんだよ。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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