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よくわからないうちに進んでみる


2024年10月2日(水)朝の6:00になりました。

科学者は、あたまが悪くなくてはいけない。

どうも、高倉大希です。




わかることが増えると、やるまでもないかと思って歩みを止めてしまがちです。

わかることが増えると、懸念ばかりが膨らんで歩みを止めてしまいがちです。


よくわからないからこそできることが、一定数あるのだろうなと思います。

よくわからないうちに進まねば、だんだんと足どりが重たくなってしまいます。


石橋を叩くべきかは、ケースバイケースです。

叩かない方がよい場合も、あるかもしれないという話です。


頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。

寺田寅彦(1948)「科学者とあたま」岩波書店


テレビの中のアイドルを見ながら、小さな子どもが踊っています。

自分も同じように踊れていると、そう信じ込んでいます。


ところが客観的に見れば、まったく踊れてはいません。

小さな子どもの、かわいらしい真似ごとです。


ものごとのはじまりは、きっとこんな感じです。

よくわからないうちに進まねば、だんだんと足どりが重たくなってしまいます。


人はわからないってことに恐怖を覚え、その恐怖を取り除きたくなります。でも仕事の本当の《評価》なんて時間が経たないと分かりません。人からなんと言われようと、継続していくことが重要です。

坂口恭平(2024)「生きのびるための事務」マガジンハウス


note だって、同じです。

じっくりと考え込んでしまうと、一向に公開することができません。


こんなことを書いたら変だと思われるんじゃないか、とか。

文章が下手なせいで伝えたいことが伝わらないんじゃないか、とか。


懸念ばかりが膨らんで、歩みを止めてしまいます。

石橋を叩くべきかは、ケースバイケースです。


僕は〆切に間に合う作家です。理由は、完成品を何度も更新させているからです。「そこまで!」と言っていただければ、そこで区切って提出できます。どこで切っても完成品は完成品です。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


だいたいのことは、どうせできません。

そして、どうせできるようになります。


よくわからないうちに、進んでみる。

時にはそんな判断も、必要なのかもしれません。


足どりが重たくなる、その前に。

歩みを止める、その前に。






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