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評価されるとそれが正しいと思ってしまう


2023年9月28日(木)朝の6:00になりました。

よー、そこの若いの。俺を含め、だれの言うことも聞くなよ。

どうも、高倉大希です。




他人の評価を気にせずに、自分らしく生きましょう。

ここ数年で、こんな言葉をよく聞くようになりました。


言わんとしていることは、わかります。

わかるのですが、どうも極端だよなと思います。


たしかに、ひとつの評価基準の中だけで生きるのは危険なのかもしれません。

ただ、だからといって評価そのものがわるいというわけではありません。


学校の先生は生徒を学期ごとに「評価」しなければならない現場にいますが、実は彼らほど「評価」がいかに不毛かを思い知らされている人たちはいません。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


いわゆる「優秀」と言われる人は、その場の評価基準を満たすことが得意です。

受験の評価基準、スポーツの評価基準、会社の評価基準、飲み会の評価基準。


その場の基準を瞬時に把握し、できる限り最大のパフォーマンスを発揮します。

評価されない人は、基準を把握できていないか、それに見合った行動ができていないかのどちらかです。


ここで気をつけなければならないのは、評価されることがすなわち正しいとは限らないということです。

あくまでも、その場の基準に合わせられたというだけです。


「フィードバック」は漠然としたアドバイスや評価のことではない。基本的には、「あなたはどこに到達しようとしており」「どこにいるのか」、そして「どうしたらいいのか」をガイドするものである。つまり、生徒が自分の学びを理解するために必要な情報が与えられることが重要であり、結果として学びへの意欲が増すものでなければならない。

藤原さと(2023)「協働する探求のデザイン」平凡社


評価されると、ついついそれが正しいものだと思い込んでしまいます。

そもそものその基準自体が正しいのかを、考えなくなってしまうということです。


基準そのものが間違っているのなら、変えなければなりません。

間違った基準の中でがんばることほど、辛いことはありません。


ただ、基準を変えようと思ったら、ある程度まで登りつめる必要があります。

登りつめるためには、結局のところ基準に見合った成果を上げるしかありません。


過去に作られて形骸化したルールを、もっと大きな仕組みによってアップデートしていく。その責任をとるべき人が、人の上に立つべきなのです。

安藤広大(2023)「とにかく仕組み化」ダイヤモンド社


もっとも危険なのは、自分が基準に合わせられないことを、基準そのもののせいにしてしまうことです。

基準に文句を言って、なにもしないのがいちばんダサいというわけです。


基準に則って、新たな基準をつくり上げていくもよし。

基準に則らず、自分のもとへと巡ってくるのを待つもよし。


基準は、人がつくったものであり、時とともに変わりゆくものです。

そこで評価されることが、絶対的に正しいとは限りません。






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