評価されるとそれが正しいと思ってしまう
2023年9月28日(木)朝の6:00になりました。
よー、そこの若いの。俺を含め、だれの言うことも聞くなよ。
どうも、高倉大希です。
他人の評価を気にせずに、自分らしく生きましょう。
ここ数年で、こんな言葉をよく聞くようになりました。
言わんとしていることは、わかります。
わかるのですが、どうも極端だよなと思います。
たしかに、ひとつの評価基準の中だけで生きるのは危険なのかもしれません。
ただ、だからといって評価そのものがわるいというわけではありません。
いわゆる「優秀」と言われる人は、その場の評価基準を満たすことが得意です。
受験の評価基準、スポーツの評価基準、会社の評価基準、飲み会の評価基準。
その場の基準を瞬時に把握し、できる限り最大のパフォーマンスを発揮します。
評価されない人は、基準を把握できていないか、それに見合った行動ができていないかのどちらかです。
ここで気をつけなければならないのは、評価されることがすなわち正しいとは限らないということです。
あくまでも、その場の基準に合わせられたというだけです。
評価されると、ついついそれが正しいものだと思い込んでしまいます。
そもそものその基準自体が正しいのかを、考えなくなってしまうということです。
基準そのものが間違っているのなら、変えなければなりません。
間違った基準の中でがんばることほど、辛いことはありません。
ただ、基準を変えようと思ったら、ある程度まで登りつめる必要があります。
登りつめるためには、結局のところ基準に見合った成果を上げるしかありません。
もっとも危険なのは、自分が基準に合わせられないことを、基準そのもののせいにしてしまうことです。
基準に文句を言って、なにもしないのがいちばんダサいというわけです。
基準に則って、新たな基準をつくり上げていくもよし。
基準に則らず、自分のもとへと巡ってくるのを待つもよし。
基準は、人がつくったものであり、時とともに変わりゆくものです。
そこで評価されることが、絶対的に正しいとは限りません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。