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名前が付いているものはいちど疑う
2024年1月4日(木)朝の6:00になりました。
ほかのどんな名前で呼んでも、おなじように甘く香るわ。
どうも、高倉大希です。
病院に行くときは、いつも不安な気持ちになります。
病気でもなんでもなかったらどうしよう、という不安です。
いっそのこと「インフルエンザです」と、言ってもらえた方が安心します。
なぜなら、体調がわるい理由が明確になるからです。
まわりの人にも「インフルエンザでした」と、説明することができます。
「インフルエンザなら仕方がないね」と、言ってもらうことができるわけです。
彼が僕にしつこく干渉していた理由は、同じ直樹という名前だったからだと、事後処理をする大人達の会話で知った。先生が僕のことを、「直樹」と呼ぶのを聞いて、自分の名前を奪われると不安になったのかも知れない。その後、彼に怯えることはなくなった。僕を嫌う理由が分かったからだ。
他者に説明するための理由になる。
これが、名前が付くことの大きなメリットです。
近ごろ「HSP」や「MBTI診断」が流行った理由も、きっとここにあります。
漠然とした不安に対して、わたしたちは名前という理由を欲しています。
だから、不安だったんだ。
誰かに名前をもらうことで、どうにか安心したいのです。
「では派」の人はよく勉強する。なぜならそれが自分のプライドの源泉になるからだ。しかし、どれほど巧妙に「〇〇では……」と披瀝できたとしても、自分だけは知っている。単に右のものを左に移しただけだと。その一方で「とは派」の人は情報に頼らない。むしろ情報が入ることで、自分の思考が邪魔されることを恐れている。とことん納得するまで考えたら、ようやく外の世界に目を向け彼我の差に目を細めるのだ。
だから、名前が付いているものはできるだけ疑うようにしています。
安心したさに飛びついてしまいがちだということが、よくわかっているからです。
決して、名前が付いているものが悪だと言っているわけではありません。
無条件で受け入れてしまうことに、懸念を感じているというだけです。
不安なときに名前をもらえると、簡単に信じ切ってしまいます。
名前には、それだけの力があるのです。
一度習得したことを「捨てる」タイプの変化のことを、「学習棄却(アンラーニング)」と言います。アンラーニングは、言うは易し、そう簡単には起こりません。日常のなかで大きな不都合やトラブルが起きない限り、人は自らの認識を変えないため、無自覚のうちに皮膚に蓄積した垢のように自覚されない認識は“こすり落とす”ことでしか気づけません。
そんなことを言いながら、毎朝6:00に文章を書いています。
広い意味で捉えでば文章を書くことだって、考えていることに対する名付けです。
ほかの名前と大きく違う点は、自分で名付けているという点です。
誰かからのもらいものではありません。
しかも、何度だって名前を上書きすることができます。
自分で毎日名前をつけて、自分で毎日疑います。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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