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勉強ができれば何をやったっておもしろい
2023年8月18日(金)朝の6:00になりました。
行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。
どうも、高倉大希です。
大人になってから、勉強のおもしろさがわかるようになりました。
皮肉のようでありながら、必然でもあるのだろうなと思います。
死ぬまで日本で暮らすから、英語の勉強なんて必要ない。
二次関数をつかうことなんてないから、数学の勉強なんて必要ない。
こんな言葉をよく聞きます。
こんな言葉をよく聞くのもまた、必然なのだろうなと思います。
一体その人がやろうとしていることにどんな意味があるのか、最初はわからなくても構わない。意味は量を重ねなければわからないからだ。
この考え方は、数学で勉強した補集合とおなじだ。
この考え方は、理科で勉強した対照実験とおなじだ。
学校で勉強したことが役に立つことは、案外たくさんあるものです。
役に立たないというのは単純に、判断が早すぎるというだけです。
役に立つか立たないかは、単純に時間の問題です。
意味は、量を重ねなければわかりません。
マグカップから牛乳が溢れ出すまで入れ続けるしかない。それまでは、牛乳がどのぐらい入ってるかやからん。そういうことが世の中にはあるんや。
点と点が繋がったところに、新たな発見があります。
発見があったところに、感動が生まれます。
当然、点が多ければ多いほど繋がりやすくなります。
繋がれば繋がるほど、感動も多くなります。
要するに、臨界点をいちど超えてしまえばフィーバーがやってきます。
点と点が、あらゆるとことで繋がるようになるのです。
象について調べているうちに、数学に関心を持って、パリの大学につながって、現地でファッションの勉強をしている女性と恋におちました......なんていう、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな、はじめっからは想像できない連鎖がほんとうにできるのが、「リンク」というものの面白いところです。
点と点が繋がれば、線になります。
線が集まれば、面になります。
面になれば、新たな点が増えたときに、その位置を認識できます。
その点を受け入れられる面がそこにあるからです。
あの山の向こうはこうなっているはずだ、あの海の向こうはこんな大地が広がっているはずだ、世界の果てはこうなっているはずだ、という仮説を図面にしたものが地図なのです。つまり、地図とは「仮説」なのです。
勉強ができれば、何をやったっておもしろい。
だから、学校で勉強をします。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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