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思考が二転三転する、なんだかんだ言ってもそれは年齢が原因なのだろうか。。。

私は過去記事で、年齢を重ねることは良いこともある、怖くなんかないとうような意味合いの記事を書いた。
しかし、それは少し強がりだったかもしれない。
不安な自分に言い聞かせたかっただけなのかもしれない。

最近の私が考えること、正直言って、安定しない、統一されない。
思考が二転三転する感じだ。
なんだかんだ言っても、それは年齢が原因なのだろうか。。。
と思うこともある。

やはり、若いということは無敵なのだなと感じる。
といっても、ないものねだりなのであろうが。
若い時は、分別のできる、もっと年配の人に憧れていた時もあった。
年配にほど近くなった今、というか、もう既に年配なのかな?
年配の年代が今一つよくわからない、人生を半分ちょっと生きたら、十分、年配なのかもしれない。(苦笑)

年配の今、確かに若い時よりは、分別は付くようになったと感じる。
しかし、未熟な面がまだまだたくさんある。
それを、残りの人生でどうにかできるとも思えない。
努力はできるけど、どこまで達成できるかもわからない。
そう、言うなれば、全てが結局はわからないのだ。
わからないからこそ、不安が襲ってくるのだろうか?

例えばnote、続けよう、やめよう、何度も迷って今がある。
毒親気質の親のこと、距離を置こう、諦めて世話を続けよう、何度も迷って今がある。
仕事のこと、復帰しよう、療養に専念しよう、何度も迷って今がある。

迷った末に決めた今ではあるが、その今が、また迷って変わる可能性もある。
私の思考は、なんだか毎日、くるくると回っている気がする。
信念のようなものが見当たらない。
残された時間が少ないという、焦りがあるのかもしれない。

ここのところの私は、体調も不安定なので、余計にそういう思考になるのかもしれないが。
明日は(もう今日だが)大学病院の診察と検査の日だ。
いつまで通うことになるのか?もうそろそろ終わりにしたい。
しかし、年末には大きい検査も控えているので、まだ付き合わなければならない。

病気なんてしたくなかった。
ぼやきたくないが、やはり病気なんてしたくなかった。
人生が、やっぱりだいぶ変わってしまった。
でも、負けたくない。
負けたくないから、これからの生き方を、もっと鮮明に描きたい。
ぼんやりとした輪郭だけだと、どうにもこうにも不安が抜けないようだ。

不安、私は人生の不安もあるが、人の機嫌に左右されやすい。
機嫌がいい人といると楽だが、機嫌の悪い人といるととても疲れる。
それだけでなく、私のせいなのではないかと必要以上に感じてしまう。
人間関係は難しい、いつの間にか好かれたり、いつの間にか嫌われたり、自分の思いとは別の所で、人間関係に変化が生じていた時、嬉しくなったり哀しくなったり、様々な思いが交錯する。

私という人間は、いつもなんだか思考がぐるぐるしているみたいだ。
だから真面目ねとか、堅物ねとか、言われてしまうのだろう。
もう少し、大らかな人間になりたいものだ。



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