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心が正常に機能していなかった時代

私は20代半ばから、約20年ほど、完全に心を壊していた。
しかし、自分が心を病んでいるという自覚が少なかったので、相当に荒れた人生を送ってしまった。
詳細は伏せるが、この荒れている時代、私はとにかく、焦燥感にあえいでいた。
今、思うと、破滅的人生を、自ら邁進していた感じなのである。

しかしながら、当時、ちゃんと働いていたし、家業の手伝いもしていたし、友達もいたし、お付き合いしている人もいた。
そして、お付き合いした人と結婚もしたし(すぐに離婚したが)、姑と同居もしたし、離婚後もすぐに働いたし、学校に通ってフリーで働けるようにもなったし、趣味も楽しんだし、再婚もしたし、介護もしたし(今もしているが)、それなりに頑張っていたはずなのだが。。。

私の心は、常に壊れていたのだ。
何をしていても、本当の意味の満足感が持続しない。
誰といても、心に本当の意味の平穏は訪れなかった。
何かに急き立てられてるような、自分はこのままじゃいけないような、そんな感覚があった。
それだけではない、中年に差し掛かった頃には、自分なんて生きる価値がない、生きる希望がない、そんな風にも思っていた。

30代の時、初めて心療内科に行った。
精神科医として、とても有名な先生のいるクリニックだ。
会社の先輩に紹介されて行ったのだが、想像していたのと全然違い、私の話をほとんどちゃんと聞いてくれなかった。
なんだか随分と軽い扱いをされてしまったのだ。
そして、安定剤を処方されたのだが、まったく体に合わず、朝から強い眠気に襲われ、通勤電車を乗り過ごしてしまう始末。

これはまずいと思い、もう一度、心療内科に行って、弱い薬を出してもらったが、今度は何の効果もない。
私はもう、どうでもよくなり、心療内科に行くことをやめてしまった。
結局、私の心の問題は解決しないままとなり、破滅的人生を常態化させていくことになる。

初めて、心療内科に行ってから約10年後、私の心は一番壊れていた。
仕事も家事も、全然、思うようにできなくなっていた。
その頃は再婚もしていたが、私の心が壊れていたせいで、夫婦仲は最悪だった。
そんな中、私は自分の心の状態に危険を感じ、夫に心療内科に行きたいと伝えた。
しかし、夫からは猛反対をされた。
私が、心の病に逃げていると思ったのだろう。
それに、夫は心療内科という所を、どこか怪しんでいたようにも思う。
私は猛反対を押し切れず、またも、破滅的人生を継続させてしまうことになる。

私が変わる兆しを見せ始めたのは、愛犬を相次いで亡くしたあたりからだ。
命を看取る、この行為は、本当に尊く、私は自らの愚かさに、ようやく正面から向かい合うことができるようになった感じであった。
それからは、独学、独自のやり方で、心の改善を試みるようになる。
自分の心に栄養をたくさん与えようと、頑張った。
枯れそうな花を復活させるように、丁寧に、丁寧に、自分の心に愛情を注いできた。

その間も、何度もくじけそうになったが、かつて、心療内科受診を猛反対してきた夫の協力を得て、私の気が済むまで、何時間も話を聞いてもらう日もあった。
今は会話をすることが習慣となり、数年が経つ。
その甲斐あって、私の心は徐々に健やかさを取り戻してきた。
夫とも修羅場を何度も経験したが、今はおかげさまで、穏やかな関係を築くことができている。
夫には感謝しかない。
私ができることは、紆余曲折はあったけれど、私を救ってくれた夫と、ワンコ達と、一日でも長く、元気に楽しい時間を過ごせるように、努めることだけである。



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