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Music × English なエッセイ 【36】


今回の動画

To The Flowers

前半に流れてくるように美しい人生なら良かったのにね。
そうじゃなくて崩壊していくのがお気の毒である。

歌詞

I’m staring out myself,
Scared of all I can’t feel
And I’m dancing on the edge,
Punching at the doorbell.
Try not to wake the neighbours now.

We’re all high as the gods
And as low as the demons but she’s alone.

I’m saving it for best,
Taking all the sentiment
And starting at the end,
Pain in single measures.
Try not to wake the neighbours now.

We’re all high as the gods,
And as low as the demons but she’s alone.

We’re all going
Down, down, down,
Down, down, down.
We’re all going
Down, down, down to the flowers.

I miss the optimist who told me I need nothing,
Who said the consequence was equal to the moment.
I wish for the start while I pray for the end.
Let’s take it all for granted, I know nothing’s gonna change at all.

I miss the optimist who told me I need nothing,
Who said the consequence was equal to the moment.
It’s closing time when they turn up the lights.
Let’s take it all for granted, I know nothing’s gonna change at all.
It’s too late, nothings gonna change at all.
Nothing gonna change at all.

概要欄ご参照👍

試訳

僕は自分を凝視している
何も感受できないことを恐れつつ
現実のへりで踊り
ドアベルを叩きつけている
ご近所を起こさないようにしながら

人はみな神の高みと
悪魔の下劣さに同時に在るというのに
彼女だけが独りだ

最良のときのために保存しておく
全ての感傷を引き受け
ラストから始めよう
単一規格の痛み
ご近所は起こさないように

神の崇高さ悪魔の邪悪さ
僕らに内在しているのに、彼女だけは断絶されている

僕らは皆
奈落の底まで
堕ちて堕ちて堕落する
そして全盛期を見るんだ

僕には(彼女が居るので)他に何も要らないと言った楽観論者が居たっけ
いわく、報いは瞬時に訪れると
終わりを祈りながら始まりを願っている
受け入れようぜ、全く何も変わらないって知ってるじゃないか

あのオプティミストはどこだろう
瞬時に因果は巡ると言っていた
ライトが灯ったら店じまいの時間だ
変化なしとわかってることを 当然視しようじゃないか
遅すぎた 何も変わらない
変わらない何も



訳出にあたっての雑想

今のジェニファー・コネリーは整形のおばさんになってしまったが、トム・クルーズの嫁さんになる配役で、例の大作『マーヴェリック』に出るまでになった。

他方、彼女がまだ若くて全盛期の美貌の頃は逆に配役に薄遇で、どういう巡り合わせなんだろうなと思った。

最初この動画を観たとき、ジャレッド・レトと彼女が共演していた『レクイエム・フォー・ドリーム』を思い出した。この動画の主人公はジャレッド・レトに少し似てる。いや少しだけど。

若いころのジェニファーは、薬物漬けでおかしな〇ックスショーにまで出演させられる、身を持ち崩した気の毒なアメリカ女性を演じていた。

この動画でヒロインはそんなショーにこそ出ていないけれど、死産の苦しみから逃れるために、薬物にどんどんはまっていき、遂には男の意図に反して、乗り越えることなく亡くなってしまったことがうかがえる。

男の悔いはおそらく、何の気なしに、気分が軽くなるならと、彼女に自分が吸っていたハッパを勧めたことだろうか?フラッシュバックでチラリと出てくる。

一緒にリハビリしていければ良かったのに、薬物に頼ったことで、そこから全てが暗転して行ってしまう。

日本にはないけど、屋外型の映画が彼らの人生を描いている体裁だが、最後はつい直近であるようで。思い出の赤い車で入水自殺しようとしたが、それを果たせなかったということのようだ。

日本語でも人生を花に喩えるとき、花盛りなんていうが、どうも原題のTo the flowers というのは、最初、死産した赤ちゃんだとか恋人への献花かと解していたのだけど、訳しながらどうも正反対ではないかと思うようになった。映像を逆巻きして、二人にとって最良の花盛りのときに戻るということではないか?

ところが、入水未遂した太宰治みたいに、憔悴しきっているところを彼女のお母さんに発見されたのかな。
義理の方ではなくて、実母のほうだろうか?
顔の造りが彼女の方に似ている気はするが。
うーむ。哀れ。

でも、百人切りなどと、量産体制で女性をはべらす奴みたいに、生涯真の愛情と無縁の人間に成り果てるのとどっちがマシなのかなあ。


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自我の地獄ってすごいアルバムタイトルだけど…😅


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