東寺

スピリチュアル的なものを含めて自らのために考察する極私的ブログです。 純粋に考えている…

東寺

スピリチュアル的なものを含めて自らのために考察する極私的ブログです。 純粋に考えていることの深掘りのためにも使いますし、臨場感をあげるための手法として 億万長者となり悟りを開いた「未来の自分」になりきり、現在の自分に向けて語りかけることもしてみます。

最近の記事

「ToBeとAsIsとのギャップを解決することがビジネスであり人生」これはいつまで? 自己満足できる活動こそ輪廻からの脱却の道

 ToBeとAsIsを明確にしていくこと。  これが多くの場合、もっと重要なこととされています。  ビジネスにおいてはまさにそれこそ仕事になっています。  顧客の要件は何か、そして現状は何か。そのギャップを明確に、言語化して施策を打っていきましょう。  私も会社も顧客にそう言っています。また私の社内でもそれが基本です。また、私の部内でも、部内分析のうえでギャップをベースに施策を展開しています。  ビジョンすることが重要。リーダーたるもの、第一の仕事はビジョンすること。そ

    • 「嫌われる勇気」の再読メモ-1

       数ヶ月前に、「嫌われる勇気」と、その続編「幸せになる勇気」を立て続けに読んだ。  ベストセラーとなった本だが、当時は単なるベストセラー本という程度の認識で興味も湧かなかったが、ふとした拍子に興味が湧いて、読んでみた次第。  読み進めるうちに、自分の考えを言語化してくれるような良本だと気づいた。  新しい学びがあったというよりも、そう、自分にしっくりくるという感じや、かつて同様のことを考えたことがあって忘れていた思念を、あらためて言語化してくれているというふうな感じを受けた

      • 不足ではなく、充足から始める夢の見方について

         不足から派生する思考や言動はどこか歪で、それによって本当に望むものには至らない、という朧な信念が自分にはある。  反面、充足から派生するものは自然でおおらかで美しく、良きものへと至る、と昔から思っているし、これはまた自分の実体験でも正しいと感じている。  私だけでなく、成功法則をかじる人は、だから「感謝」を志したりしているふしがあるように思う。  けれども、無理やり捻り出した「感謝」ほど、不自然で気持ち悪いものはない。ありがとう、ありがとうと千度唱えたところで、その芯が「

        • 夢実現のための臨場感をえるコツは、五感を越える感覚を得ることと、その先の「日常」に浸っていくこと

           望むゴールを臨場感をもって描くコツは、ゴール達成の瞬間ではなく、ゴール達成の世界に生きている日常までもありありと描くことがコツだと思う。  それも視覚だけではなく五感全てを使って、かつキーワードは「共感覚」。  言葉を変えれば、五感と五感を超えた(もしくは五感を統合した)感覚がキーワードな気がしている。  視覚だけでは足りない。その世界のなかに生きているときに感じる、肌に触れる服の感覚、足裏の感覚、耳に感じるもの、目に入るもの、それらによって湧き上がる内面的な情動、五感で

        「ToBeとAsIsとのギャップを解決することがビジネスであり人生」これはいつまで? 自己満足できる活動こそ輪廻からの脱却の道

        • 「嫌われる勇気」の再読メモ-1

        • 不足ではなく、充足から始める夢の見方について

        • 夢実現のための臨場感をえるコツは、五感を越える感覚を得ることと、その先の「日常」に浸っていくこと

          圧倒的な「快楽的努力」によって夢は実現する

           引き続き「努力」についてです。  先日Youtubeをザッピングしていていいなと思った動画。  カロリーメイトのweb movieです。コロナ禍で努力する高校生を描いた清々しい映像。  本来私たちは何かに打ち込みたい願望があり、その願望が刺激されるような気持ちになります。  何かことをなすためには圧倒的な「努力」が必要ということは、アタリマエのようでいてそれがなぜかしらできないのはなぜでしょうか。  「努力」という言葉から想起されるイメージのうちに、辛い・きついと

          圧倒的な「快楽的努力」によって夢は実現する

          「成功」には圧倒的「努力」による「積み上げ量」が必須。ただし、それを苦痛とするか、快楽とするかの違いだけ。

           最近特にやりたい事をやるという名目で、努力を嫌う人たちが増えている印象があります。特にそういう感じの人がまわりにいなければ、この記事自体はぴんとこないと思いますし、ほとんど意味はなさないと思います。ただのアタリマエのことを記載しているだけです。  私の会社には若手を中心にそのような人たちがある一定数いて(たくさん生まれる土壌のある会社でもあり)、むしろ好きなことに夢中になっていないことが罪悪に感じている人もいる様相です。  あることをなそうとした時には、そのための知識と経

          「成功」には圧倒的「努力」による「積み上げ量」が必須。ただし、それを苦痛とするか、快楽とするかの違いだけ。

          自分を変えるのは言葉ではない。時間をかけるものでもない。変えるのは一気に一瞬であるということとその方法について。

          なぜ人は変われないのか 人が変われないのは、価値観や信念(ブリーフシステム)によって形成されたコンフォートゾーンの力が強いからです。 ちょっとやそっとのことでは、コンフォートゾーンは変わらないものです。 逆に簡単に変わるようであれば、それはコンフォートゾーンとは言わない。 変わらないようにコンフォートゾーンに引き戻す力(ホメオスタシス)がしっかりとがっつりと作用しているものです。 今の自分を変えたい、変わらなくては達成できないゴールイメージがあって、そこから引っ張られて

          自分を変えるのは言葉ではない。時間をかけるものでもない。変えるのは一気に一瞬であるということとその方法について。

          「神」は十人もつのが良い。誰かを「神」と崇めることは、「神」に最も遠ざかる逆説的な行為であるということ。

          師匠というか、尊敬する人を持っているということは、とても幸せなことだと思います。 「自分」以外の視点をどれだけ持てるかというのは、その人の器の広さであり、ある一定以上の人を巻き込んで、何かを成す際には必須なことだと思います。 反面、すぐに何かなした人を「神」と崇めるSNS中心にした風潮にものすごい違和感をもってならないわけですが。 すなわち、「神」と崇めるときに、両手をあげて自らを明け渡すようなスタンスは、ただの弱さの表出でしかないと思うわけです。 「弱い人」は「神」か

          「神」は十人もつのが良い。誰かを「神」と崇めることは、「神」に最も遠ざかる逆説的な行為であるということ。

          人生にバランスを取る。「職業」という器に人生の全てを注ぎ込まないという考え方。

          苫米地英人氏の「オーセンティク・コーチング」という本を読んでいます。 苫米地氏の本はかねてより読んでいますが、いくつかの気づきがあったのでメモ的に。 この中に、「バランスホイール」という考え方があります。 ゴールをひとつとするのではなく、細分化した方がよい、とする考え方です。 究極的にはひとつのゴール、ひとつのビジョンが理想的なのかもしれませんが、 そんなにうまく一つのゴールを描いているだけで人生満たされるものではなく、 ともすれば偏りにより支障をきたす恐れがある、という

          人生にバランスを取る。「職業」という器に人生の全てを注ぎ込まないという考え方。

          「タイパ」「生産性」のキーワードに踊らされる日和見主義の世の中。結局は自分軸。

          徒然と。 最近映画や動画の倍速に端を発して、「タイパ」がさまざまメディアで取り上げられています。 幾分の理解を示した中庸的なものや、否定的なものなどが多い印象です。 自分はnewspicksを購読していますが、最近では「遅く考える人が賢い理由」等々(これらの記事自体は倍速に否定ではないですが)、タイパを取り込みつつも、根底にアンチテーゼ色の強い論調をさもありなんとわかった風の「大人」が語る論調もあらわれています。 それぞれの論調は、別に間違っているわけでも個別の反論がわ

          「タイパ」「生産性」のキーワードに踊らされる日和見主義の世の中。結局は自分軸。

          「この世界は自分の脳が作り出したものでしかない」と受け入れることが自由の第一の源泉

          私たちは、客観的な現実を生きているわけではなく、脳が作り出した個人的な・主観的な現実を生きているということについて。 脳は、作話しているという話があり、私はこれは事実だろうと素直に受け入れます。 つまりは、こういうことです。 五感を通じて私たちはこの世界を客観的なものとして把握しているわけではありません。 むしろ脳が補完した「現実」を生きていて、それ以外の「現実」というものはありえません。 例えば、視覚を通じて正確に目の前のものを見ていると思うわけですが、実際はほとん

          「この世界は自分の脳が作り出したものでしかない」と受け入れることが自由の第一の源泉

          黒澤明「素晴らしき日曜日」を観て。ありありと夢を描く一つの模範的姿として

          黒澤明の映画をまとめて観ているのですが、 そのなかで、「素晴らしき日曜日」という映画の話から少し。 貧乏な二人の恋人がお金に困って過ごすという話なのですが、 喫茶店で有り金を使い果たしてしまったあと、 途方に暮れて二人が公園に行き着くというシーンがあります。 暗く落ち込んでいる二人ですが、喫茶店をひらくという夢を彼氏が語り始めて、場が転調していきます。 その際の夢の語り方がとても印象的なものでした。 手振り身振りを使って公園のなかを移動しながら、喫茶店の看板の形や、広さ

          黒澤明「素晴らしき日曜日」を観て。ありありと夢を描く一つの模範的姿として

          真理追求(科学)と宗教と、成功哲学について

          大袈裟なタイトルを書きましたが、備忘録として。 さまざまな分裂・亀裂が席巻するする世の中、徒然とメモ。 それぞれを私なりに定義しているフレームがあるのでその整理。 真理の追求は終わりのないものであり、着地の見られないもの。 宇宙論とか量子論とか、科学による知見で示唆されるものはあっても、そこに着地としての「解釈のないもの」を私は科学だと捉えています。 反面、そこに「着地を見出すもの」が宗教であり成功哲学。 着地を見出すその地点その様において二分され、 「何もかも把

          真理追求(科学)と宗教と、成功哲学について

          組織の論理は、人を思考停止にする(ロボット製造工場だという話の断片)

          いくつか断片的に。 小林秀雄のこの言葉は、僕の中で座右の銘の一つとして記憶されているものです。座右の銘といいつつたくさんありますが、そのなかの重要なもののうちの一つであるのは確かです。 これをひいて想起されるのは、小林秀雄も愛読したニーチェの次の言葉。 小林秀雄が語る時に、きっと念頭にあったのは次の言葉だと想像していま(解釈的には同じことを言っています)。 言葉で共有できるもの、「主義」という名で大御所を背負った主張、集団の力を正とする風潮とはまるで真逆の、個という実存

          組織の論理は、人を思考停止にする(ロボット製造工場だという話の断片)

          聖書「伝道者の書」 空の空すべては空 ソロモン王の言葉をどう引き継ぐか。

          徒然に、まとめきれぬままに、 自分は昔クリスチャンでした。 たくさんの聖書の言葉を暗記する年代を経て、すっかり忘れた年代を経て、最近時々思い出す言葉があります。 いくつかあるのですが、ふと今日思い浮かんだものなどを。 そして、最後のしめ 私が聖書に親しんでいたのは二十年以上前。 そして、それ以来聖書を開くこともありませんが(実はこの数ヶ月やっとぱらぱらとめくっていますが)、この句はその間も時々去来する句でありました。 なぜか心に残っていたし、疲れたときなど空の空

          聖書「伝道者の書」 空の空すべては空 ソロモン王の言葉をどう引き継ぐか。

          最強の「成功哲学」はシンプルで「夢中になれる大きな夢を描き、自分を信じ、何があっても諦めず努力し続けること」

          はじめに これまで自己啓発本や夢実現のための本を、人並みに読んできていると思います。 特に苫米地英人氏の本はよく読み、考え方も深く理解していると思っています(RAS、スコトーマ、臨場感、アファメーション、情報空間、ハイパーホメオスタシス等々) 最近では少しスピリチュアルな領域の本やYoutubeなども興味深く(引き寄せの法則や、「量子力学」を借用した精神世界の本など)かなり影響を受けていていずれも腹落ちしているので、このブログでも深掘りしていきます。 ただ、いずれも要

          最強の「成功哲学」はシンプルで「夢中になれる大きな夢を描き、自分を信じ、何があっても諦めず努力し続けること」