自分を変えるのは言葉ではない。時間をかけるものでもない。変えるのは一気に一瞬であるということとその方法について。
なぜ人は変われないのか
人が変われないのは、価値観や信念(ブリーフシステム)によって形成されたコンフォートゾーンの力が強いからです。
ちょっとやそっとのことでは、コンフォートゾーンは変わらないものです。
逆に簡単に変わるようであれば、それはコンフォートゾーンとは言わない。
変わらないようにコンフォートゾーンに引き戻す力(ホメオスタシス)がしっかりとがっつりと作用しているものです。
今の自分を変えたい、変わらなくては達成できないゴールイメージがあって、そこから引っ張られている日常を送っているつもりではあっても、日々の変化は遅々として振り返っても変化を感じられない、
例えばアファメーションを持っていて、そこから派生するイメージに臨場感を持つようになったとしても。
そういう人は多いのではないでしょうか。
人は言葉で変わるわけではない
(アファメーションで変わるわけでもない)
最近私が感じるのは、言葉によって人は変わるのではない、ということです。
言葉によって漠然と広がるイメージを集約させることはできます。
あるところにフォーカスさせる力は言葉にはあります。
ただ漠然とイメージしたところで、イメージはちょっとした情動や外界からの刺激によって霧散していくような類のものでしかない。
そういうなかで、言葉によるラベリングで、硬い軸を維持することができるのは確かです。
人が変わるのは「体感」によって
では何で人はかわるのか。
結局大切なことは、言葉によって指し示そうとしている「臨場感」と名称されるもの、つまりは「体感」なのだろうと感じています。
アファメーションも、その体感を誘発し、再現性をもたらすため一つのラベリングでしかない、と。
体感は霧散しがちであり、そうなると再現性が難しいために、便宜上言葉が必要となるのではないでしょうか。
当たり前のことかもしれませんが、言葉>体感、ではなく、言葉<体感であるという点というのが重要であり、この認識を保持していないと本末転倒な話になっていくのではないかと最近強く思っています。
そうすると強いコンフォートゾーン、ホメオスタシスを破るヒントが見えてくるわけです。
どうすればいいか
分厚いコンフォートゾーンの壁を打ち破るほどの強い体感にフォーカスし、一気にその体感の世界へ飛び出すこと。
夢実現には「ワクワク」の感覚が大切だと言われているのも、こういう考えと整合します。
じわじわと「ワクワク」へと移るのではなく、一気に「ワクワク」の世界へと体感を変化させ、その感覚を強く維持し続ける(別に「ワクワク」でなくともいいと思います)。
ゴールを実現した時に感じられる体感を臨場感強くイメージできたら、その体感を忘れず、そして、その体感の世界へとダイブしていく。
それはほんとに力強く一気に。
そうすると、一瞬で違う世界へと移る感覚を得られるはずです。
おずおずとではなく、一瞬でガラリと変えるのです。
その時、確かにもとに自分の感覚(例えば、ワクワクしない自分、ゴールイメージでない自分の感覚)に戻ろうとする力が働くのを感じられるはずです。
この時、「ああ、これがコンフォートゾーンとホメオスタシスの力と言われるものだな」と冷静に一度自覚することは大切です。
これを破り、突き抜けるわけです。
いくらゴールをイメージしても、変化がみられないという方がいれば一度やってみてください。
ゴールを実現したさいの体感を強くイメージする。
そして、そこへ一気に全存在ごとダイブする。
その際にかつてのコンフォートゾーンに戻そうとする力を感じるが、その力に応じずに、変化した体感に「勇気」をもって身を浸し続ける。
ホメオスタシスの力は強いので、たびたび揺り戻しの誘惑に駆られるが、これこそが変化の敵であることを都度認識し、争っていく(自分らしくない体感である、と)。
そうすると、やがてコンフォートゾーンが知らずに変わっていく、
こういう仕組みだと思います。
新しいコンフォートゾーンの維持には時間がかかるかもしれません。
ただ自分を変えるのはいつも一瞬でできるし、その方法が正しいのだということです。
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