「タイパ」「生産性」のキーワードに踊らされる日和見主義の世の中。結局は自分軸。
徒然と。
最近映画や動画の倍速に端を発して、「タイパ」がさまざまメディアで取り上げられています。
幾分の理解を示した中庸的なものや、否定的なものなどが多い印象です。
自分はnewspicksを購読していますが、最近では「遅く考える人が賢い理由」等々(これらの記事自体は倍速に否定ではないですが)、タイパを取り込みつつも、根底にアンチテーゼ色の強い論調をさもありなんとわかった風の「大人」が語る論調もあらわれています。
それぞれの論調は、別に間違っているわけでも個別の反論がわるわけでもありません。
ただものすごい違和感が自分のなかには居座り続けています。
ビジネスの世界で、あれだけ「生産性」というものを論じてきたではないか。
自分もその渦中にあり、それを利用してのビジネス世界のなかにいますが、
社員ひとりあたりの1日30分の時間の短縮が、全社員に換算され、一ヶ月に換算され、年間に換算され、生産性こそ絶対善であるということをシャワーのように業界内のセミナーでも開催されるセミナーで発せられる環境のなかにいました。
その風潮のレール上に、今主に若者を中心に「倍速」の流行があってしかるべき帰着だと思いますが、とたんに軸がずらされていく。
誰を責めるわけでもなく、この風潮にもの違和感をもっているという感慨なのですが、
世の中の「大人」(ビジネスマン)は日和見主義だというつくづく感じ入ります。
批評家の立場には自分はおらず「大人」の一人なので自戒を込めて、
この日和見主義の社会の中で、少なくともその時々で自らが深いところで納得することを言動していきたいとて感じています、と徒然と。
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