「ToBeとAsIsとのギャップを解決することがビジネスであり人生」これはいつまで? 自己満足できる活動こそ輪廻からの脱却の道

 ToBeとAsIsを明確にしていくこと。
 これが多くの場合、もっと重要なこととされています。

 ビジネスにおいてはまさにそれこそ仕事になっています。
 顧客の要件は何か、そして現状は何か。そのギャップを明確に、言語化して施策を打っていきましょう。

 私も会社も顧客にそう言っています。また私の社内でもそれが基本です。また、私の部内でも、部内分析のうえでギャップをベースに施策を展開しています。

 ビジョンすることが重要。リーダーたるもの、第一の仕事はビジョンすること。そう言われて、私もまた日々ビジョンを描いては、部内メンバーに叱咤激励している。
 また、中間管理職たる自分も、その上司から、組織内ギャップを埋めるための施策遂行を求められています。

 ある期、そのギャップを埋めることができた。わかりやすい例で言うと、数字を大幅に達成できた。そうすると、次の期は実績ベースでさらに対策年度XX %の上積みの予算がおりてくるわけです。

 そういうものでしょう。そして、そういうものと思って仕事をし続けています。達成を喜べるのも、達成が見えた期末くらいです。うまい酒が飲めて、達成感を得られます。ただ、数週間するとそれも終わります。

 社会人を20年近くしていて、20年近く繰り返しています。

 そして、これはまたプライベートでも同じです。

 何かになりたい、と願う(ToBe)。現状(AsIs)とのギャップを意識してそれを乗り越えることをします。年収をあげたい、マンションを買いたい、可愛い子供が欲しい、いい車を買いたい、会社内で出世したい、美味しいものを食べたい、美味しいお酒を飲みたい。自由にお金を使えるようになりたい。

 かつて夢見た水準では全部達成しました。でも、また次の水準を求めて、そのギャップを見続けて、満足しない。

「ギャップを適切に設定し、そのギャップを見つめ、ギャップ(不足)を埋めることこそ、正しいビジネススタイルであり、ライフスタイルだ」

 やっていることは、こういうことです。これをきちんとできている人は、それなりのビジネスマン、やり手と言われていると思います。

 AsIs ToBe とGap、普通ですし、そのGapが課題ですよ、ここが重要ですよ、と私の所属する会社でも、他社へのコンサルティングを行う際に繰り返し言っています(あるいはもっと洗練された会社はあるかもしれない、自分の視野の狭さはあるかもしれない)。

 でもこれ、誰もが気づいていることですが、終わらないです。

 終わらない永遠の活動。

 それでもいつかいつかと願いながら、いつかToBeへと近づけると邁進し続けていく。
 昨年よりも良くなかったかどうかを振り返ることもなく、次なる目標が現れては、またGapに苦しんで、欠乏感から前へと足を踏み出していく。

 ゴールポストは、自分か、もしくは他の誰かに動かされて、ゴールポストがかわっていると愚痴をいいながらも、また次なるゴールポストめがけて進んでいく。

 永遠の輪廻みたいなものです。

 輪廻からの解脱みたいな話まではわからないです。

 ただ、そのうちの小さな一つの鍵は、自分を心底満足させる世界を持つ、ということだと今思えます。Gapはほとんどの場合、他者から与えられた相対的なものです。
 Gapが本当に重要なものでしょうか。Gapをあえて見続けることに意味があるでしょうか。それは決して終わらないサイクルではないでしょうか。

 悪いものではない、そうやって成長していくのだ。そういう側面もあるかもしれません。
 ただ、私には娘がいて、日々彼女は成長していますが、彼女が1年前よりも今の方が幸せかというと、そうでもないです。
 彼女は生まれた時から幸せそうに笑っています。友達に囲まれて、いつもニコニコしています。今は小学生になっていますが、何なら保育園のときのほうがずっと幸せそうにニコニコしています。

 年齢とともに成長していく必要がある。そのとおりです。

 でも、一緒に散歩していて、道端に蟻の行列をみつけては急に立ち止まり、その蟻をずっと観察して幸せそうにしていた彼女や、家族で出かけた時に行き先もわからずにスキップして笑っている姿を思い出すと、彼女に対して「人生はGapを埋めるためにある」とはとても言えない気持ちになります。

 彼女の幸せには、ToBeやAsIsとGapなど何も関与していなかった。永遠の輪廻とは無縁だったと思えます。その輪廻へ、ようこそと言うことが幸せだとはとても思えません。

 回りくどい言い方になっていますが、輪廻は輪廻として認めつつ、そこに全身浸らず、ToBe AsIs Gapから距離をおくこと、あるべき姿・ありたい姿など描かず、ビジョンせず、ただただ没頭するべきもの、つまり「趣味」という遊びにフォーカスすることこそ、「解脱」の道なのではないかなと思えます。

 その際に重要なことは、人からの評価(ToBeにつながる)は一切気にせずに、ただ自らがやっていて楽しい活動に夢中になっていくこと、つまり徹底した自己満足を追求することではないかなと思います。

 自己を最大限尊重している人はそういうことをして、それが社会的価値とか何かの蓄積とかそういうものとは無縁だったときにはじめて、満足を得られるのではないかなと思います。

 

 

 

 

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