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イマジナリーYouがときめきの導火線に火をつけた話

まえがき」でも書いたが、私は、人がどう考えた末に本を手に取るのかということに興味がある。
他愛もなくくだらなく、ちっぽけで何の脈絡もないかもしれない、本選びの最中の頭の中、それが見てみたい。
そこでこのnoteにまずは本屋での自分の頭の中を書くことにした。自らの頭の中を明らかにしつつ、さらには本を読みたい方のブックガイド的な何か、読書の参考とかきっかけになれば良いなと思っている。

さて、私は昼食を買いに行くついで、ふらりと古書店に立ち寄った。
行きつけの本屋は店自体が小さいせいか、新しめの本のほうが多かったり、出版社や作家やジャンルでラインナップがある程度固定されていたりする。その点、古書店は多種多彩だ。
ものすごく古い本があったり、聞いたこともない出版社の本があったり、良い意味でごちゃっとしている。本屋にはすでに置かれていないものも多くて、見るだけでも、とても楽しい。

そんなわけで、私は古書店の本棚を眺めていた。さしたる目的もなく足を運んだので、これといって何が読みたいのかは自分でもわからない。
ピンとくる何か、ときめきとか直感とか自分のセンサーにビビッとくるのを求めて棚を物色していた。

マニアックな、辞典みたいなものを見つけて、手に取る。古本だから定価より安くなっていたが、それでもぎょっとするようなお値段で、おののく。
変なタイトルだなあと思って手に取った本はタコ(オクトパスのほう)についての本だった。ちょっと気になるが、ちょっと学術寄りだった。ふむふむと頷きつつ棚に戻す。
すごく気になるけど、今日の私はもう少し気軽に読めるのを求めている気がする。

文庫本のコーナーに向かった。

古本の良さを味わいを感じる機会は、私の場合、文庫本が一番多いかもしれない。
消費税がなかった時代の、無愛想に書いてある「350円」。時代を感じる劇画調の表紙。古い本特有の甘い匂い。
つい何でも手に取って、めくる。
昔の文庫は現代の文庫よりずっと字が小さい。翻訳小説はそれが顕著だ。正直見づらい。でもこれがいい。ちょっと背伸びして高尚な読書家にでもなっているような特別感、何ともいえない没入感を与えてくれる。
何より昔の本は字が良いのだ。ムラのある印字、インクのたまり具合やかすれが、ミステリーやSFを読むときにたまらない高揚感をかき立てる。

ものすごく古い本、ちょっと古い本、新しい本。私は文庫の翻訳小説をなんとなく手に取るを繰り返した。
いつも必ずチェックするのはアガサ・クリスティーの棚だ。

子供のころ、両親が見ていた海外ドラマ『名探偵ポワロ』を一緒に見て、一気に引き込まれた。ポワロ役のデヴィッド・スーシェは至高で、ポワロはこの方以外にあり得ないと思うし、同様に日本語吹き替え版でポワロを担当された熊倉一雄さんの声とキュートさの中にちょっと変わり者っぽさや嫌みっぽさがありつつの演技をなくしては、こんなにも好きにはならなかったと思う。
私はポワロにこの海外ドラマから触れたのだが、のちに読んだ原作で(ポワロのトレードマークとして)「卵形の頭」とあるのを知り、あらためてデヴィッド・スーシェ最高と思った。スーシェはとてもいい卵形の頭をしている。
あと、吹き替えの熊倉さんがポワロの最後の物語である『カーテン』まで演じきってくださったのもありがたかった。
↓参考までに。卵形の頭が拝めるジャケットを見つけてテンションが上がった。

ちょっと話は逸れたが、まあ、本を物色しているときの頭の中なんてこんなものだ。
初回なのでちょっと張り切って書いてますが、ご容赦ください。

さて、話を戻そう。
アガサ・クリスティーの文庫本と言えば、真っ先に目に留まるのが早川書房のクリスティー文庫だ。「クリスティー文庫」というだけあって、ポアロシリーズに限らずアガサ・クリスティーの著作はクリスティー文庫にほぼそろっているのじゃないかなと思う。

クリスティー文庫の本たちは赤い背表紙が目を引く。本棚に並ぶと壮観だ。実は私も少しずつ集めている。集めているが、その分、積読も多い。

私はクリスティー文庫の『アクロイド殺し』を手に取った。じつは家に同じ物がある。が、積んでいる。

パラパラとめくった。導入の一文からわくわくをかき立てられる。読みたい欲がむくむくと湧き上がる。積読を消化するチャンスだ。

『アクロイド殺し』はポアロシリーズの中の一作だ。

(以下、『アクロイド殺し』についての話を展開していきます。ネタバレは避けていますが、先入観をまったくなしで読みたい方は、ここからはご注意ください。ストーリーを知る上で影響のない範囲ですが、少しだけ本文を引用している箇所があります。)

『アクロイド殺し』だが、じつは海外ドラマ版の『アクロイド殺人事件』はすでに見ている。海外ドラマ版を見たのはずいぶん前だが、犯人とか話の流れはなんとなく覚えている。
でも楽しい。
クリスティー作品は全容を知っていても楽しめるものが多い。

そしてドラマと言えば、『アクロイド殺し』は日本でもドラマになっている。

三谷幸喜脚本の『黒井戸殺し』だ。
↓参考までに。もしかしたらこのビジュアルで思い出す方もいるかもしれない。

放送は2018年フジテレビ、190分のスペシャルドラマだ。(Wikipediaより)

ポアロに該当するキャラクター、探偵・勝呂武尊を野村萬斎がつとめる。
そしてポアロシリーズではしばしば物語の語り手=ポアロの助手役となるが、『アクロイド殺し』における語り手=ポアロの助手役はジェームズ・シェパード医師だ。このシェパード医師に該当するキャラクター柴平祐役を演じるのが大泉洋だ。
(ちなみに『アクロイド殺し』はポアロが探偵を引退したあとの話なので、ポアロの助手役としてよく出ていたヘイスティングズ大尉は出てこない)

三谷幸喜リメイク版、野村萬斎ポアロのシリーズは今のところ三本あるが、その中でも私はこの『黒井戸殺し』が一番好きだ。
キャラクターが濃い、役者も濃い、そしてそれらが物語にぴたりとハマっている。

クセとアクの濃い野村萬斎ポアロに、助手ポジションの大泉洋。
もう最高だ。
大泉洋に「ぼかぁ、ちゃんと言ったよ? 言ったからね」とか「君ね、それはちょっとやりすぎなんじゃないかな」とかなんか、そんな感じで言って欲しい(ドラマ内ではさすがにそういうのはなかったと思う)。

……などと、本を物色しながら思い出していた。

そう、だいぶ話が別の方向に行っていたが、ここは古本屋だ。そして、私はクリスティー文庫(早川書房)の『アクロイド殺し』を手に取っているのだった。
家に帰って積んでいる『アクロイド殺し』を読もう、ついでに『黒井戸殺し』も見よう。たしか録画を残していたはず、とか考えながら本を戻した。そしてさらに棚を眺めた。

『アクロイド殺害事件』という本が目に入った。

タイトルが微妙に違うが、こちらもアガサ・クリスティーの本だ。つまり原本は同じである。出版社が違うとタイトルが異なるというのは、翻訳小説ではままあることだ。ちなみに翻訳者も出版社によって異なることが多い。

『アクロイド殺害事件』は嶋中文庫(嶋中書店)から出ているグレート・ミステリーシリーズの中の一作であるらしい。嶋中文庫という存在を初めて知った。
初めての出会いにわくわくしながら手に取り、読んでみた。

お、お、お、大泉洋……!

心の中で叫んだ。マスクの下でにやりとしていたと思う。
もちろん、当然ながら本の中に大泉洋はいない。
しかし私の中でたしかに、大泉洋の声が聞こえたのだ。

イマジナリー大泉洋、爆誕の瞬間である。

語り手であるシェパード医師の語りは、大泉洋の語りだった。
震えるほど感動した。本棚を物色中、『黒井戸殺し』のことを思い出したせいだろうが、それにしても、ここまでぴたりと口調がはまることはない。
この感動、伝わるだろうか。
ぜひとも伝えたい。
なので少し引用したいと思う。

参考までに先に、クリスティー文庫版『アクロイド殺し』から書き出す。
本文の序盤、開始二ページほどのところにある、セリフ部分を含む箇所だ。

 左手のダイニングルームから、ティーカップのカチャカチャいう音や、姉のキャロラインの短い空咳が聞こえた。
「ジェームズ、あなたなの?」という声がした。
 聞くまでもないことだった。わたし以外に家族はいないのだから。

(アガサ・クリスティー『アクロイド殺し』、羽田詩津子、早川書房、2003年、10ページ)

続いて、嶋中文庫版『アクロイド殺害事件』から同じ場面を引用する。

 左手の食堂から、茶碗のカチャカチャという音と、姉のキャロラインの咳払いが聞こえ、「ジェイムズ、あなたなの?」と声がかかった。
 余計なことを訊く奴だ。わたしでなくて誰だというのだろう。

(アガサ・クリスティー『アクロイド殺害事件』、河野一郎訳、嶋中書店、2004年、10ページ)

「余計なことを訊く奴だ」
言いそう、大泉洋、言いそう!
クリスティー文庫版が知的な紳士然としているのに対し、嶋中文庫版のこの俗っぽさ。

さらに先の方をみると嶋中文庫版には「○○していたんですがね」みたいな言い回しもある。ああ、大泉洋の皮肉っぽい口調が頭をよぎる。大泉洋の声で再生されて仕方がない。
楽しい、なんて、楽しい。

欲しい、この本、欲しい。ものすごく欲しい。

ビビッときた。
しかし、先にも書いたとおり、我が家にはすでに『アクロイド殺し』を積んでいる。そして、内容は同じである。他にも積んでいる本はたくさんある。
でも欲しい。

出版社や翻訳者の違いによって、味わいが微妙に変わるのもまた、翻訳小説の面白いところだ。
読み比べたら、絶対に楽しい。楽しいに決まっている。

イマジナリー大泉洋が言った。
「君、このあいだも迷った末にやめたやつ、あとになって慌てて買いに戻ってたよね」
「ここで買っとかないと一生後悔するよ? こういうのは一瞬ものだよ?」
「ぼかぁ、言ったよ、言ったからね」

もう、買うしかなかった。ビビッときていた。すっかりときめいていた。

こんまり(近藤麻理恵さん)は、ときめきで物を減らしていくが、私はときめきで物が増えていく。
だが、仕方がない。本とはそういうものなのだ。
私は本を買ったのではない、積読を増やしているのでもない。
ときめきを買ったのだ。

なお、これを書いている今、帰宅したあとに調べて知ったのだが、嶋中書店は2007年に解散されているらしい。
あのとき古書店で出会わなければこの先、一生手に取ることも開くこともなかったかもしれない。

イマジナリー洋の言うとおりだった。ありがとう、イマジナリー洋。
ついでに大泉洋さんもありがとう。

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