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まえがき

私はわりと頻繁に本屋へ行く。
本屋で、レジに並ぶ人をふと見たとき、あるいは本を抱えたまま棚のあいだをうろうろする人を見たとき、強い衝動に駆られることがある。

あの人の頭をこじ開けたい。脳の中を見せてもらいたい。

こう書くととても物騒だが、もちろんそのままの意味ではない。
あと、断わっておくが、人様の持っている本を見て「こういう本を読むんだぁ」とぷーくすしているわけではない。
ただ純粋に、なぜその本を選んだのか知りたいのだ。

くれぐれも誤解しないでいただきたいのですが、人様の選書を覗き見してディスっているわけではありません。

私は本が好きだ。物心ついたときから好きだ、いや物心つく前から好きだったと思う。
幼少時、私が通っていた幼稚園では、ひと月かふた月に一度くらいの頻度で子供向けの薄い雑誌みたいなのがもらえた。カトリック系の幼稚園だったので、クリスマスには聖書にちなんだ絵本までもらえた。きれいに包装されていて、装丁がしっかりしていて神かと思った。ひたすら本をなで回した。(思えば、本の装丁に心奪われていたのは、あれが初めてだった。なんてマニアックな子供だったんだろう。今思い出していて、我が事ながらちょっと引いた)

幼稚園で本をもらった日は、子供心にすこぶるテンションが上がったのを覚えている。神には感謝しなかったが、本をタダでくれるなんて良いところに通わせてくれるなあと親に感謝した。
そんな調子であったから、小学校に上がってからも図書館や本屋に通いまくり、本が好きなまま大きくなった。
進学を機にひとり暮らしを始めることになって家を探すとき、第一希望条件に「本屋に近いところ」と書いて、不動産屋のお姉さんをひどく困惑させた。でも私には、スーパーとかコンビニとか食料品が買える店より、本屋のほうが大事だった。

そんな私ですが、ひとつだけ申し添えておきたい。
私は読書家と称するにはかなり自信がないのだ。

本好きというと本をたくさん読むイメージを持たれがちだが、私の場合、人並みには読むけど、人並みにしか読まない。というか読めない。
本を読むスピードが遅いのだ。

子供のころは早く読める自信があったが成長するにつれ、早く読めなくなっていった。あまりの遅さに(何かしらの)自信を失い、読書から離れたりしたこともある。
ちなみに速読や瞬読を身につけようとしたけど、「こんなやり方に手を染めることは果たして読書を楽しめることになるのか」「本に対して不誠実ではないのか」という、まるでドーピングに手を出すかのようなもやもやを感じたので、やめた。身の丈に合わない大いなる力に手を出した者は、いずれしっぺ返しを食らうのだ……そんな気がしてならない。

また、読書スピードが遅いという点以外にもうひとつ、コンプレックスみたいなのがある。
それは、「自分の読書の好みがまるで定まらないまま大人になった(ような気がする)」ということだ。

読書家の方々は、なんというか軸や土台がしっかりしていて、読みたい本をスマートに選んでいるイメージがある。けど、私にはそれがない。常に自分を見失っている
本屋の棚のあいだをぐるぐるしながら、「本を読みたい気持ちなはずなのに、私が読みたい本は何だろう。私の好みってどういうのだろう」とか考えてる。
さらには「そもそも好きな本って何だ。いや、好きとはいったいなんなのか」とかいうとこまで行くときは行く。もはや哲学

本に限らずただでさえ優柔不断を極めているので、ひたすらにと悩んでいる。「自分とは何か」みたいなことを考えながら、何の戦果もないまま本屋から帰る。そんなときはとてもかなしい。自分に哀愁が漂っている気がする。

だから、本屋で他のお客さんを見ながら思うのだ。
人が一冊の本にたどり着くまでの道程を知りたい、と。

世の中の皆さんがどんなふうに考え、本を選んでいるのか。どんなきっかけで本と出会い、手に取り、購入に至るのだろう。

私はどんなふうに考え、本を選ぶんだろう。選んでいたんだろう。

時折、無性に知りたいと思うときがある。自分が迷いがちだから余計に、皆さんはどうなんだろうと頭の中を覗かせていただきたくなる。

それで、まずは自分が書くことにした。
他愛もなくくだらなく、ちっぽけで何の脈絡もないかもしれない、本を選ぶとき、手に取る瞬間の頭の中。
そこに比重を置いたブックガイド的な何かになる予定です。

手持ちの本については、その本をどういう経緯で手に取ったか思い出しながら。
新しく手に入れた本は、そのきっかけなどを交えて。
紹介する本は必ずしもすべて読んでいるとは限りません。

おもしろがっていただけたら幸いです。


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