歴史の読み方
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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歴史に少し触れると「よくこの時代にこんなことが出来たな」と思うことが多い。現代生活には便利なものが溢れている。科学技術が発達してあらゆる物が機械で行えるようになった。
今では当たり前に自転車や自動車、電車にのって移動し、飛行機を使えば海外にさえ簡単に行くことが可能だ。しかし、数百年前まではありえないことだったのだ。かつては基本全て歩いて移動。馬に乗って移動することもあっただろうが、自動車による移動可能距離および移動速度には遠く及ばない。
今の移動技術がある中で戦をしていたのなら分かる。しかし、戦国時代などにそんなものがあるわけがない。領土を奪い合うためにどれだけの人数が、どれだけの距離を歩いて移動したのかと思うと不思議でたまらない。いまならどこにでもコンビニがある。お腹がすいたらご飯を買い、服に困ったら買えばいい。夜にはホテルに泊まればいい。しかし、それができない。
私は建築学生ということもあり、建物が作られるということに興味がある。建築史というものが存在し、その時代に建っていたものを学ぶ。学ぶ際には完成されたものを絵などで見て「こんな建物が主流だったのかぁ」などと思いを馳せるのだ。しかし、忘れていけない事として昔は作る際に重機がなかったということだ。
日本は木造が多く、軽い建築だ。とはいえ、丸太も下敷きになると死んでしまうくらいには重い。滑車などで工夫していたとはいえ、どう考えても重すぎる。いまでは指先1つで丸太を何本も運べるが、かつてではそんな事は不可能なのだ。
石造なんてなおさら想像できない。世界の国々の街並みを想像してもらうとだいたいが石造だろう。こんなものよく出来たなと毎度感心してしまう。レンガ造りなら想像できなくはないが、一塊100kgなんて余裕で超えているだろうというようなパーツで建てられているものも存在する。その場で持ち上げるだけならまだしも、石切場から運搬することを考えたら、もはや訳が分からない。
ピラミッドや古墳などは何万人という人々が何十年もかけてつくる国家プロジェクトだった。機械などなくマンパワーで作られていたと言葉で言われても想像ができない。もし私が実際に労働者としての立場だったら、あまりの進捗の遅さに何を作っているのか分からなくなりそうだ。下手したらノイローゼものだ。
今の当たり前とかつての当たり前は全く異なる。汗水流さなくてもお金を稼げるなど、かつてには想像出来なかっただろう。機械などない時代にどのように歴史が動いてきたのか。ディテールまで想像してみると面白いかもしれない。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います
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