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📿西国三十三所巡礼④ - 明日香村が楽しすぎた、古墳編(石舞台、高松塚古墳等) -

西国三十三所について書くシリーズですが、今回の記事は、石舞台や高松塚古墳などの遺跡がメインです。

以下のリンク先の続きとなります。

西国三十三所巡礼

6月最初の休日、奈良にある4カ所の寺に参ろうと車で出かけました。しかし、現地に着くと至るところに出てくる案内板、もう明日香村内の遺跡が気になって仕方なく、寺は2カ所しか参拝できませんでした。

長くなりますので、記事は2回に渡ります。まずは、古墳編(前編)と言うことで。

壺阪山 南法華寺[壺阪寺](第六番)

奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。

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全体を入れるために広角で撮影
左右が歪んでいます

上画像の後方立像へ近づき見上げますと、曇り空の中、太陽がベストな位置にあり、後光がさしていました。私に何かご利益があるのでしょう、たぶん(笑)

同日に参った西国三十三所の他の寺は、後編(石造物と寺編)で載せます。


明日香村散策

石舞台古墳

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指定されている。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。

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高台にあります

上記画像の右下部分に、下記画像の石室入口があります。

排水の溝が掘ってありました

石室内部です。
これだけの巨石をどうやって運んだのか、どうやって積み上げたのか。

サイズ感を出すため
私が被写体に

高松塚古墳(1972年彩色壁画発見)

藤原京期(694年 - 710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。

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発見された時、日本中が興奮しましたよね。当時、11才だったのではっきり覚えています。

高松塚古墳に隣接する高松塚壁画館にも入りました。
入館料は大人300円です。

壁画館のメインである石室部のレプリカに関しては、撮影禁止でした(下記画像中央)。

館内全景
館内
館内

キトラ古墳(1983年彩色壁画発見)

二段築成作りの円墳である。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置している。円墳であり、四神を描いた壁画があるなど高松塚古墳との類似点がある。

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文武天皇陵

文武天皇(もんむてんのう、683年〈天武天皇12年〉-707年7月18日〈慶雲4年6月15日〉)は、日本の第42代天皇(在位:697年8月22日〈文武天皇元年8月1日〉- 707年7月18日〈慶雲4年6月15日〉)。

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高松塚古墳から数百メートルの距離でしたので、寄りました。

右側に立っている看板が気になりましたので。

明日香村の散策、楽しかったです。

続きは、後編(石造物と寺編)をお待ち下さい。

<了>