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彩りを連れて 十七

『勉強会をするのは良いと思うけど、何が真緒のためになるのかきちんと考えてね』

 お母さんにそう釘を刺された朝は、酷く足が重たかった。

 誰もいない教室に入って、自分の席に着いて、机に突っ伏す。

 お母さんは私が誰かと関わるのを良しとしていないみたいだ。元々あまり学校での様子を聞かないタイプだったのは、そういうところから来ているんだろうか。お母さんは、あんなことがあったから、私が人と関わっていない方が安心するんだろうか。私と関わる人のことも、私自身も、信用していないんだろうか……。

「おーい、真緒、寝てる?」

 顔を上げると目の前に晴くんの顔があって思わず飛び起きる。

「おはよ。真緒が突っ伏してるとこ初めて見たかも。……昨日、母さんと話すの上手くいかなかった?」

 心配そうに聞いてくる晴くんに、私は頷いて返した。

「そっか……もし良かったら、何て言われたのかとか、教えてくれない?」

「……晴くんのこと傷つけるかもしれない」

「俺のことは気にしなくていいよ。真緒、そのままにしてると頭パンクしそうだから、吐き出した方が良い」

 私はそんなに思い悩んでいるように見えるんだろうか。でも、晴くんの言うことも事実だ。ここは言葉に甘えた方が良い。

 できるだけ昨日言われたことをそのまま晴くんに話すと、やっぱり彼は浮かない顔になった。

「ごめんね、言わない方が良かったかな」

「いや、真緒が謝る事じゃないよ」

 晴くんがそう言ってから、私たちは何も言えなくて、口を閉ざした。

 でも、晴くんが何も言えなかったのは、必死で私に何と言うか考えていたかららしい。遠慮がちに口を開いて「あのさ」と呟いた。

 私が目線を上げると、彼は一瞬目を逸らして、でもまたちゃんと私を見て、言った。

「真緒の母さんは、友達はずっと一緒にいてくれるのかって聞いたんだよな」

「……うん」

 私が伏し目がちに呟くと、晴くんは深く息を吸って、

「真緒」

 と私の名前を呼んだ。

 目が合った途端に晴くんに言われた言葉を理解するまでに時間がかかった。

「俺は、真緒とずっと一緒にいたいよ」

 驚いて何も言えないでいる間に、晴くんは言い訳みたいにまくしたてた。

「なんかさ! 真緒の母さんに全然信用されてないみたいだし? ずっと一緒にいてくれるのかって、そりゃあ真緒の意思にもよるけど、少なくとも俺はそう簡単に離れたりしたくないわけで……ってなんか俺、さっきより恥ずかしいこと言ってる!?」

 顔を真っ赤にする晴くんに頭が追い付いていかない。それなのに私まで顔が熱くなってくる。

「あの、晴くん、その、さっきのって」

「聞き返しちゃう? めっちゃ恥ずかしいんだけど」

 晴くんは手で顔をあおぎ始めた。

 あまりに突然のことに戸惑うばかりだけれど、でも、ずっと晴くんに言いたかったことがある。

「あの、晴くん」

「何?」

「私、これからやりたいことがあるの。聞いてくれる?」

 晴くんは手を止めて、緩く笑って「うん」と頷く。

 手足が一気に冷えて、それなのに汗をかいて、おまけに鼓動がうるさい。今までに感じたことのないくらいの緊張。

「私、ね」

 意図せず震え声になるのを必死に抑え込んで、言葉を紡いだ。

「晴くんと、一緒にいたい」

 晴くんが固まった。それはもう見事に固まった。それから少し落ち着いていたのにまた一気に顔が赤くなって、

「それって……やべ、俺も聞き返しちゃった」

 と言って笑った。

 お互い顔を真っ赤にしてしばらく目も合わせられなかったけれど、数秒か数分か、ともかく時間が過ぎてから、晴くんに問いかけられた。

「あの……両想いってことで、いいですか?」

 その言葉が心の中に輝きを伴って飛び込んでくる。

 私が真っ赤な顔のまま頷くと、晴くんは飛び上がりそうな勢いで喜んだ。


 それからの一日はひたすら晴くんに言われたことを反芻して終わってしまった。ずっとどこか上の空で、美玲ちゃんに心配をかけて、しっかりしなきゃと思ったけれど、やっぱり私は授業中も少し集中力を欠いていた。

 けれど、そこはさすが美玲ちゃんと言うべきか(晴くんが話したのか、立花くんが察したのか、分からないけれど)その日の晩には美玲ちゃんから「付き合えたんだね! おめでとー!!」というメッセージが届いた。通知が来た時にはすごく驚いたけれど、多幸感で包まれていた私は素直に「ありがとう」と返してスタンプまで送ってしまった。

 私が浮かれているのはお母さんにまで伝わったらしい。「何か良いことでもあったの?」と聞かれたけれど、正直な事を話したら良い顔をされないだろうと思ったから、隠しておいた。

「あれからお母さんとはどんな感じ?」

 勉強会をしている時、美玲ちゃんがそう聞いてきた。

 私があの日言われたことは、美玲ちゃんと立花くんにも話してある。だから、私とお母さんとの関係性をここにいる人たちはみんな分かっていて、心配してくれている。

「相変わらず、かな。勉強会してくるって言ったら残念そうな顔されたし」

「そっか……」

 美玲ちゃんが顔を曇らせたから、私は慌てて言葉を足した。

「でも、悪い事ばかりじゃないんだよ。……確かに、お母さんとの関係性は変わらないままだけど、私が変われたから」

 三人が不思議そうに私の顔を見る。照れくさくて話すか少し迷ったけど、みんなには言おうと思った。

「私ね、みんなと話すまでは『お母さんの期待に応えなきゃ』って、そればっかり考えてた。自分のことさえちゃんと見てあげられてなかった。でも、お母さんの望む通りにするだけじゃ、私が幸せになれないって分かったの。それに、私は私の幸せを望んで良いんだって、思えるようになった。……私、いつかちゃんとお母さんに言いたいことがあるの」

 この気持ちに気づかせてくれたみんなに真っ直ぐ言うのは少し恥ずかしかったけど、でも勇気を出してしっかり目を見て言えた。

「大切な人と過ごす時間は、別れが訪れたとしてもずっと心に残り続けるし、私は人を好きになれて幸せだよって」

 一瞬みんなの動きが止まって、でもすぐに美玲ちゃんが抱き着いてきた。

「私も真緒ちゃんと一緒にいられて幸せ! 別れたりしないよ、ずーっと友達だからね!」

「あ、ずりぃ、半分俺の台詞だろ、それ!」

「太田が言い出さないのがいけないんですー。ねえ真緒ちゃんあんな奴やめて私と一緒に過ごそうよ」

「冗談でもやめとけ」

 立花くんに言われて美玲ちゃんは「はぁ~い」と自分の席に戻る。

 この空間が本当に愛しくて、大好きで、ずっと一緒にいたい。

 卒業した後のことは分からない。でも少なくとも卒業するまでは私たちは友達でいられると思う。それに、晴くんとは卒業して一人暮らしが始まってからのほうがもっと会えるかもしれない。

 まだ、私にはやりたいことがたくさんある。

 カラオケだってボウリングだって遊園地だって行ってない。コンビニで食べたいお菓子もあるし、それに、デートだっていつかはしてみたい。ううん、絶対したい。

 ふいに目があって晴くんがニカッと笑う。

 今の私の日常は、薔薇色とまではいかなくても、良い色に違いない。でもこれからもっとカラフルにしていける。みんなとなら、晴くんとなら、それができる。

 こっそり晴くんと足先を触れ合わせると、心がじんわり温かくなった。

 明日も、明後日も、この温かさを感じられますように。

 そして、この温かさをお母さんに伝えられる日が来ますように。


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