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こころが不安定なときほど大切なこと

カウンセラーさんの当たり外れというか、相性って大切だなあって思った話。


今日、無料のお試しオンラインカウンセリングみたいなのを受けたんだけど。結局、電話が終わった後、パニックになってギャン泣きして、その後もずっと気持ち落ち込んでた。

運良く、昔から仲のいい友達とLINEしてて、わたしの異変に気づいてくれて仕事の休み時間中に電話してくれたから話すことでパニックは落ち着いたけれど。やっぱり持つべきものは優しく寄り添ってくれる友達だなって思う。


自分の内面を整えていくことが大切。
少しずつ過去と向き合って、整理して、納得していくプロセスっていうのが大切で、それを1人でやるのは難しい。なぜなら、自分を客観的に見ることって難しいから。だから、認知行動療法とかカウンセリングを受けていくことは大切って話をカウンセラーさんにされた。

心療内科は好きじゃない。なぜなら薬は対処療法に過ぎなくて、根本治療には繋がらないから。

うん。それは理解できる。
わかった上で、それでもしんどいから、ぐっすり朝まで眠れるように、不安になったときに少しでも気持ちを落ち着けられるように、お薬をもらって飲んでいる。

「お薬は、あくまでもサポート。あなたが抱えているいろんな問題を魔法のように消してくれるものではないんです。お薬はあなたのメンタルを底上げしてくれるものだけれど、上から降りかかってくるものが重ければ、どれだけお薬で底上げしても沈んでしまいます。だから、根本的な治療のためには、あなた自身が、抱えている問題それぞれに対して適材適所に相談し、問題を取り除いていく努力や行動をしていく必要はあります。でも、無理はしなくていい。ゆっくりでいいです。我慢する必要もない。しんどくなったら、お薬に頼っていいです。ただ、あくまでもお薬はサポートにしかならないってことは、理解していてくださいね」

初診のとき、お医者さんに言われた言葉だった。あの人の言葉は適切で簡潔だったけれど、とても優しかった。


言っていることは同じ。なのに、全然違う。
なんなんだろう。

あまりにも断定的な口調。
決めつけに近い「あなたは今こういう状況だよね?」といった言い方。
今日のカウンセラーさんが言っていた内容は別になにも間違っていない。
でも、有無を言わさぬ感じが、すごくプレッシャーになって、そこに寄り添いというか配慮というものを感じられなかった。

そもそも短い時間の中での無料のオンライン相談だから、端的に要点を伝える必要があったんだろうなってこともわかる。
でも、電話での相談が終わってから自分が崩れ落ちて、今もまだメンタルが戻っていないから、なんだかんだ、今のわたしにはカウンセリングはまだ早いのかもしれないと感じた。

少なくとも、ああいうタイプのカウンセラーさんは無理だ。完全に地雷だった。


しんどいな。苦しいなって思う。

自分の状態に診断名をつけて、それを免罪符にして、言い訳にして、「だから自分はこうなっちゃっても仕方ない」とか、そうやって自分自身をその “診断名” のカテゴリーの中に入れ込んじゃうのはNGだよって言われて。
そういうことは、今までも家族とかに言われたことはあって、それはそれで理解できる。

でも、自分の息苦しさやつらさに明確な “診断名” を出してもらうことで、原因がわかるし、そこから必然的に解決方法や対処法もわかる。そうすれば、あとは解決方法に沿って動いていけばいいって考えるタイプなんだよな。


捉え方って人それぞれだし、タイミングとか環境とか相性っていうのは間違いなくあるんだと思う。
そのカウンセラーさんがカウンセラーとして悪かったってことではなくて、ただシンプルに今の自分の状態に対してその人が合わなかった。それだけのこと。

でも、やっぱりしんどかった。

なんでこんなに苦しまないといけないんだろう。
いつまでこの苦しみは続くんだろう。


こういう心の傷は、少しずつ癒していくしかない。
時間をかけて、必要があれば数年単位で。
それはわかる。頭では理解できる。

でも、早く抜け出したいって心は急ぎたがる。だって苦しいもん。つらいもん。しんどいもん。


タイミングよく電話してくれた友だちは、過去に2回うつになって休職して転職してっていうのを繰り返した経験のある子だった。

「初診に行って、お薬をもらったりして動き出した最初のタイミングが一番しんどくなるよ。それが普通。わたしもそうだったよ。大丈夫、それもプロセスのひとつだからね。その波を乗り越えて少しずつ良くなっていくからね」

「ゆっくりで大丈夫なんだよ。つむは、おかしくなんかないよ。しんどいんだったら、今はまだ無理して過去のトラウマと向き合ったり思い出す必要はない。身近な人たちのことを考えたり、子どものことを考えて、早く治さなきゃ、よくならなきゃ、乗りこえなきゃって焦っちゃう気持ちはすごくわかる。でも、それを急ぐあまりに自分の心の状態を無視して進むのは、結局つむがしんどくなっちゃうだけだからね」

「できるだけつむがしんどくない方法で、少しずつ小さな一歩でいいから、進んでいけばいい。進むことすらしんどいなら、止まって休憩してもいい。頑張らなくていいんだよ。今は頑張るときじゃないよ。大丈夫だからね」

友だちは、そんな優しい言葉をたくさんかけてくれて。
ずっとボロボロ泣きながら、色んなことをとりとめもなく話した。
電話が終わってから、なにを話したのかも、なんであんなにパニックに陥ったのかも、トリガー的要素がなんだったのかも、もうわからなくなっていて。記憶があいまいになっていた。


なんでこんなに苦しまなきゃいけないんだろう。
なんでこんなにつらい思いや怖い思いを数年経っても、こっちがしないといけないんだろう。

愛する人を自分に繋ぎ止めたいがために力技でむりやり繋ぎ止めた方法は、絶対的に間違っている。それは絶対に愛なんかじゃないし、せいぜい自己中心的で幼稚な自己愛でしかないんだろう。

自分が愛する人を繋ぎ止めたいという不安感とか恐れで、結局どれだけその愛する人のこころを深くまで傷つけたのか、その罪悪感の十字架を一生背負って生きていけばいいって思う。


過去は過去。今は今。
それは分かっている。
少しずつ、わたしはこの傷を癒していくし、恐れを乗りこえて強くなるし、幸せになる。
そのための今なんだ。
そのプロセスの最初の一歩を踏み出しているところなんだ。

大丈夫。
いろんな人が背中を優しく押してくれる。
「大丈夫だよ。つむは間違ってないよ。今できる最善を、ちゃんと選んでいるよ」って。
そのみんなの言葉を信じて、わたしは今、怖くても不安でも、少しずつ選択をして、動いていっている。

「今はまわりの言葉を信じて、それに背中を押してもらって動いてる状態なんだよね。自分自身のことは信じられないし、判断ができないから。今はそれでいいんじゃない?そうやって進んだ先で、自分の考えや思いを信じられるようになって、自分の選択に自分自身が自信をもてるようになったとき。それが、つむが目指す最初のゴールでいいんじゃないかな」

あの人は、そう言ってくれた。
ぶっきらぼうだけど、いつも愛にあふれた本当に優しい人。


苦しいけれど。
つらいけれど。
怖かったり不安でいっぱいだけど。

だけど、同時に、この苦しみがあるから、まわりの優しさや愛情に気づくことができた。どれだけ自分のことを大切にして支えてくれる友だちや家族や社会の人がいるのかを知れた。

世界はやさしい。
そのことを知れただけで、わたしはきっと幸せ者だ。
だから、わたしは絶対大丈夫。
今、どれだけ不安に打ちのめされて、怖くてたまらなくっても、震えながら、泣きながらでも。

大丈夫って思えるよ。
うん。大丈夫だ。
ちゃんと、進んでる。ひとりじゃない。

感謝、だな。
そう素直に思う。

少しずつ進んでいこう。人生は長いんだから。

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