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マンガ銀魂から学ぶ人生哲学
突然ですが、わたしは中学生の頃から銀魂という漫画(アニメ)が大好きで。主人公の銀さんがめちゃくちゃ好きでした。(今も大好き。銀さんの次に土方さんが好き)
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銀さんは、一見チャランポランで、いつも鼻ほじってて、だるそうで、やる気がなくて、死んだ魚の目をしてて、適当で、めんどくさがりで、パチンコ行ったり、お金もなくて、お酒ばっかり飲んで、怠惰にだらだら生きてる「ダメな大人」「クズ代表」みたいな人(笑)
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廃刀令がくだったのちも、常に木刀を引っさげて、新八と神楽の3人で、気だるそうに、適当に、万事屋(よろずや)というなんでも屋さんをしている。
でも、そんなチャランポランでのらりくらり適当ばっかりしてる銀さんだけど、実は過去、攘夷戦争のときには「白夜叉」として恐れられた豪傑。
ふとしたときに、彼の死んだ魚の目は、強く光って、折れることのない真っ直ぐな志を発揮してめちゃめちゃに戦う。
そんなときに放たれる銀さんの言葉は、真っ直ぐで、純粋で、心の真ん中に深く刺さる。
人間が恐れるものは二つある。
それは死と恥だ。
死を乗り越えようなんてのは
バカがやることだ。
だが、恥を乗り越えようとするヤツを
俺は笑わねー。
俺はそういうバカが好きだ。
俺にはなぁ
心臓より大事な器官があるんだよ。
そいつぁ見えねーが
確かに俺のどタマから
股間をまっすぐブチ抜いて俺の中に存在する。
それがあるから俺ぁ、まっすぐたっていられる。
フラフラしてもまっすぐ歩いていける。
ここで立ち止まったら、そいつが折れちまうのさ。
魂が折れちまうんだよ。
銀魂は、下ネタしかない、いわゆるギャクマンガといわれているアホなマンガです。お母さん世代には、「こんなの見ちゃダメ」って言われる典型的なマンガ(アニメ)。
でも、人生で大切なことをたくさん教えてくれたのは、いつも銀魂だった。
今もまだ、いや、今まさに、わたしは葛藤と迷いの中にいる。
死ぬんじゃないか、と思う日もある。
よく生きて、呼吸をして、この両の脚で立っているよな、と思うこともある。
これだけの重たい荷物(もの)を抱えて、どうして立ち上がることができるのかと自分に呆然とする日もある。
すべてをほっぽり出して逃げ出したくなるときもあるよ。
夜明け前だ。
夜明け前が一番暗ぇ。
だが目をつむるなよ。
闇から目をそらしたヤツには
明日に射す光も見えねぇ。
たとえこの先、どんなに深い夜が待っていてもな。
そう。
今は、夜明け前なんだ。
でも、わたしは、目をつむることはしない。
どれだけ苦しくとも。
どれだけ迷うとも。
どれだけ涙を流そうとも。
そんなものは、ただの上辺で起こっているに過ぎないことだと知っているから。
この人生の中で、14のときから繋いできた深い深い縁たちは、時間に淘汰されることもなく、今も深く繋がっていることを改めて感じた。誰よりも、親よりも、「わたし」という人間を、そのうちに抱える矛盾や葛藤のすべてを、知ってくれている心友たちがいるということ。
「助けて」と言ったときに、助けてくれる手がたくさんあるということ。
その温もりのすべては、冬の寒さの中でこそ、気づくことができる宝物(もの)。
俺はテメェが百の物を捨てる間に
千の物と繋がってきた。
俺はテメェが千の物を壊す間に
万の物に助けられて来た。
たかが幾千の軍勢がどうした。
俺たちは万(よろず)を守ってきた三人だ。
俺たちは万事屋(よろずや)だ!!
なんでこんなに悩むのか。
なんでこんなに抱え込んでしまうのか。
そう思うときもあるけれど。
わたしがわたしである限り、変えられないもの、変わらないものがある。
「それは失敗する」と「やけどするよ」と
言われてもピンとこないから
本当に熱いかどうか確かめる主義なんだ
バカだと言われたとて、遠回りだと言われたとて。
これがわたしだ。変わらない、わたしというあり方だ。
バカで上等。阿呆で上等。
まっすぐ生きたバカな魂はな
たとえその身が滅ぼうが
消えやしねー
わたしは、人に言われた「正しさ」という答えを丸呑みして信じて生きていくなんかより、泥だらけになっても自分の信じた道なき道を突き進んで、自分にとっての納得できる答えにたどりつきたい。
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そうは言っても、「こんな泥沼の中に入ってしまいたくなんてなかった」なんて、自分にこびりついた泥を見て、過去を憂いて、選択を後悔して、時計の針を戻したくなるときだってある。
でも、過去のせいにして、自分じゃない誰かのせいにして、なんの意味がある?それでこの苦しみは消える?それでこの葛藤はなくなる?
つまずき転んだのを
石のせいにしたところで
何か変わるか?
なにも変わらねぇよ。
目を背けて、臭い物にフタしたところで、"ソレ" が "ある" って事実は変えられない。自分にこびりついてる泥がいつか乾いて落ちるその時まで、ただ前だけを見て、一心不乱に走り続けるしかないだろう。
そうは言っても、迷うこともある。悩むこともある。
どこに向かって走ればいいのか、なにに向かって進めばいいのか、わからなくなる。
正しさなんてもの、存在しない。
答えなんてものも、存在しない。
答えも正解もわからない、前例のない道なき道。
まだ存在していない道を、ゼロから歩いていかなちゃいけない。
人生ってそもそも「正解」なんてなくて、自分で答えを見つけて行かなきゃいけない、その繰り返しの積み重ねなんだと悟りはじめた。
それでもまだ、迷い、悩み、自分に問い続けている。
この足が、止まってしまうときもある。
「それでいい」と、銀さんの師匠である今は亡き吉田松陽は言う。
君は侍になるには
何か資格でもいると
守るお家がなければ
尽くす主君がいなければ、
侍になれないと思っているんですか。
私はそうは思いません。
武士道とは弱き己を律し
強き己に近づこうとする意志。
自分なりの美意識に沿い
精進するその志をさすのです。
[略]
たとえ氏も素性もしれなくとも、
たとえ護る主君も戦う剣ももたなくとも
それぞれの武士道を胸に掲げ
それぞれの侍になることはできる。
[略]
君も道に迷ってここに流れついたんでしょう。
わたしもそうです。
未だに迷っている。
それでいい…
悩んで迷って、君は君の思う侍になればいい。
でも…
「君は君の思う侍になればいい」って言うけれど、わたしが思う「侍」ってなんだ?わたしにとっての「武士道」ってなんだ?
ミレニアル世代とZ世代のはざまで生まれたわたしたち「ゆとり」の世代は、指針も指標もなく、わかりやすい社会の決めた「正しさ」なんてものも崩壊した、希望も夢もない「オワコン」といわれる時代の中で成人し、オトナになっていこうとしている。
迷いながら、もがきながら、葛藤しながら。
答えなんてない人生の道を、歩いている。
これはわたし個人だけじゃなく、わたしの世代が抱えている共通の荷物(もの)。わたしの親友たちも、幼なじみたちも、みんなそれぞれに悩み、葛藤し、迷いながら、ときに立ち止まりながら、模索し、歩き続けている。
こんな時代の中で、どう生きていくのか。
前例のない自分だけの道なき道を、自分だけの「武士道」を、どうやって見つけていけばいいのか。
いつも最終的にはブリーフパンツ一丁にされ、バカばっかりさせられている(主に銀さんたちバカ集団のまごうことなき被害者)である征夷大将軍、茂茂は言う。
鎖国が解かれ、あらゆる思想
あらゆる価値観が氾濫するこの時代に
最早人の心を一つの君主(もの)に
つなぎとめまとめていく事などできはしない。
指標を失えば、人々もまた我達と同じく
時代に飲まれ自分を見失い
滅ぶ道をたどる事になろう。
さればこそ、我々はもう一度
取り戻さなければならない。
この混沌とした時代においても
迷う事なき確固たる自分のあり方を。
それぞれの侍を。
彼らが私に教えてくれた。
例え主君などいなくとも
友のため
大切なもののため
譲れぬ信念のため
人はそれぞれの主君がために
それぞれの侍になることはできる。
どんな混迷の中でも人は
己なりの美しいと思う
生き方を見つけ出すことはできる。
どれだけ混沌とした時代であろうとも、どれだけ苦しい葛藤だらけの人生の1ページにいたとしても。どれだけ悩み、もがき、血へど吐きながら、涙でかすむ目で、足元さえ見えなくなったとしても。
そんなもの、ただの上辺で起こっている事象でしかないことを、わたしはちゃんと知っている。
わたしの根底は、上辺がどれだけ荒れ狂おうが、凪いでいる。
なぜなら、わたしは、人生の中にも春夏秋冬があることを知っているから。
だから、わたしの根底は、揺らがない。
秋は物悲しくなるから、冬は寒いからイヤだといくらダダをこねたって、秋や冬をすっ飛ばして春や夏にワープすることはできないと知っているから。
だからわたしは、どれだけ秋が物悲しさを連れてきても、その中に秋の恵みと美しさを見出そう。
どれだけ冬が凍てつく寒さでわたしを凍らせようとしてきても、その雪降る白の清さに美しさを見出そう。
凍えて死んだように見える冬の中にも、春が内包されていることを、わたしは知っている。冬の中には、春がすでにある。それを見出せる目があるかないか、それだけの違いだ。
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そう。
上等だよ。
止まってなんてしちゃいねぇ。
逃げてなんかもしちゃいねぇ。
闘ってるよ。
己自身と。
進んでるよ。
確実に。
秋なのか冬なのかも、もうわからないけれど。
それでも寒さから、深い闇から目をそらさず進み続けてれば、いつか気づけば春になって桜でも咲いてんでしょう。
それが肚の底でちゃんとわかってるから。
しんどくても、つらくても、
しんどくもないし、つらくもないよ。
その時まで。
潜り続けるだけだ。
自分の中の、譲れない武士道ってやつを、見つけるために。
誰にもとってかわることのできない、わたしだけの「侍」となるために。
サポートしていただいた方のことは忘れません