【読書】エリート層が支配する政府よりも、市場メカニズムを信じよ/「資本主義と自由」から
20世紀末、世界的に一世を風靡した新自由主義的思想。日本でも小泉政権が聖域なき改革を断行。その根本にあるのが市場メカニズムに対する徹底的な信頼、その理論的考察を集約したのがこのフリードマンの一冊。
記事要約
世界を席巻した/し続ける新自由主義/市場原理主義の知的バックボーンとなるミルトン・フリードマンによるバイブル的一冊。
一部のエリートが牛耳る政府よりも、市場メカニズムに絶対の信頼を置く著者の考えにとって、平等や公正といった主観的で実現不可能な価値観よりも個人の自由と権利保証を重視。
左寄りインテリ層間で悪の親玉視されるフリードマンだが、読者の政治的志向に関わらず、普遍的な有益な示唆に溢れた一読の価値ある書。
1.本の紹介
ノーベル経済学者でシカゴ大学経済学教授だったミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の代表作の一つ。本のタイトルは「Capitalism and Freedom」(1962年)で、経済学者で配偶者のローズ・フリードマン(Rose Friedman)との共著。邦訳あり(「資本主義と自由」)。
最近ネット・フリックスで話題の英国王室の苦悩と葛藤を描いた「ザ・クラウン」。そこに登場するマーガレット・サッチャー首相が新自由主義的改革を断行するシーンを見て、そもそも新自由主義ってなんだっけ?と疑問に思ったのがきっかけ。
進歩主義/Pregressive派から、悪の親玉のような扱いを受けているフリードマンだが、私は彼の著作を直接手にしたことがなかったので、いい機会なので購入してみた。
You Tube上に、生前彼が行った各種講演が数多くアップされており、それも併せて視聴。
2.本の概要
非常に濃い内容のため、論点を絞って概要説明。
①徹底的な個人の自由と私的財産保護
1960年代、ケネディー政権やジョンソン政権下で全盛期を迎える、ケインズ的な積極的政府介入を厳しく批判。政府があらゆる分野で積極的に施策を展開し、国民の生活を担保するというこの考え方/アプローチ。
しかしこれだとどうしても権力集中/中央集権が避けられない、そしてそのような政治体制は危険だと言う。権力が一部の人間に集中すると、仮に彼らがいかに善良な人間であったとしても、彼ら自身の価値観を他人に強要し始める。その結果、個人の自由を阻害する事につながるという。
②政府の役割は必要最小限にせよ
著者の主張は、必要最低限の役割しか担わない小さな政府。個人間の自発的な取引&協力(Voluntary exchanges/cooperation)や、個人の自由および財産権の担保、法や秩序の確保/Maintenance、金融システムの機能担保等が最低限の事だけやり、あとは市場原則に委ねるという考え方。
これ以上の政府介入はもっての他、介入したとしても結局は害になるのが落ちだと言う。本書では特に下記の施策を批判。
農産品の価格補助
関税および輸出制限(例:石油や砂糖割り当て)
政府による特定生産物の生産量管理(例:農産品、石油等)
家賃や賃金規制
最低賃金
各種産業規制
ラジオやテレビの報道規制=Freedom of speech
社会保障政策(例:強制年金積立など)
Public housing
徴兵制
③資本主義vs社会主義
社会主義/Socialist的な国家や社会は、個人の自由を担保できないという意味から、真の民主主義国家にはなり得ないとのこと。旧ソビエトや中国を念頭においた主張。以下引用。
④福祉国家=個人財産の組織的な簒奪
福祉国家というのは、政府の権限を使って人々から強引に金を巻き上げ(個人の自由・財産侵害)、その金で他人を助けようとする国家システム(公共住宅、学校無償化等)。
結局人の金を使うため、その手の国家福祉プログラムは無駄が多く非効率的。芳しくない結果を見て、リベラル/lliberalの連中(※)はもっと金をよこせという。しかし、福祉プログラムは根本的に間違い。市場原理に任せ、支援としては例えばvouchers 配布等をするのが最適。
(※)米国では、個人的自由よりも福祉や平等を優先する左翼的な政府介入主義が自由主義/Liberalismと見なされがちであるが、それは正しくないという。本来自由主義とは、アダム・スミス的な市場への信頼、そしてLaissez-faire的市場原理主義的考え方を指す。
他、興味深い点を下記に記す:
著者のSelf interestの解釈が秀逸。コーネル大学での講義からでのお話だが、工場勤務者を例に、資本主義下でのself interestとは解雇されないよう頑張る事、社会主義下での撃たれないように頑張る事だという。笑ってしまった。
これも講義で出てきた彼の主張だが、資本主義では自己責任/individual responsibility が重要で、個人の意見を尊重respectすることが不可欠。
なにが善/goodかはひとそれぞれの価値観であり、一部のエリート層がその権力を利用して、自分の価値観を他人に押し付けるのは良くない。
lawyer breakers/アウトローが存在するのは、破るべき法が存在するから。不必要なライセンス方式などの無用で無価値な法を作るから、違法行為や腐敗が起こるのであって、そんな法律が存在しなければそもそも違法者もいなくなるし、違法取り締まりにさくリソースをもっと建設的な目的に割り当てられる。
3.感想
今日の保守派(米国では共和党)のIntellectual pillarともいうべきフリードマン、進歩主義者/Progressive/民主党的なインテリ層にとって、新自由主義という悪の親玉的存在でもある。
だが、彼の講義もそうなのだが、彼の論調は非常に明確かつ的確でパワフルと思ってしまう。戦後冷戦、ケインズ的政府積極介入により赤字財政が表面化していた当時、フリードマンの主張が多くの国々や人々を魅了したのも全く不思議ではない気がする。
彼の主張は、社会主義的Central planningとそれに似通った福祉国家的/大きな政府的取組に対する嫌悪と何よりも人の手による政府に対する懐疑の表れと言える。その根底には、どんなに善良で優秀な人が政府施策を考え実行しようと、様々な不確定要素があり、結局はいい方向には向かわない(sub optimal)という人間への絶望的にまで低い評価、ある意味で現実的な評価が見え隠れする。どんなに頭のいい人がよい施策を考えたとしても、それがうまく行くとは限らないし、考えるだけ無駄、市場に任せよう、ということ。
※自由をあつかったフリードマンのもう一冊の書籍概要はこちら
確かに権力は腐敗するというのは、歴史が証明しているところではありフリードマンのいうことには、普遍的な真理が内包されている気がする。ガチガチの計画経済がうまく行かないのも旧ソビエトや自由化前の中国を見てもわかること。
しかし、市場原理主義を推し進めると、それはそれで社会の歪みを招くことになることもわかってきている。格差社会、貧困の深化&再生産などである。スタート地点で既に決着が着いている者同士を、個人の自由/自己責任というメリトクラティックな実力主義で競わせるため、勝者はさらに勝利を収め、敗者はさらに負け続けるという構造である。
最後に一言
正直、思ってた以上に心に響く言葉が多々ある本。さすがはノーベル賞を受賞するほどの経済学者。全て同意するわけではないが、人間の本質を見据えた鋭い視点を提示しており、一読の価値あり。
併せて、他の記事もご覧いただけたら幸いに思います。
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