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「弱い自分」が死にたくなるほど嫌いだ

毎回、検査が近づいてくると憂鬱になる。

ストレスで頭がバグりそうになる。何もかもが手につかなくなる。何もしたくなくなる。心の余裕もなくなる。まるで、時限爆弾を手にしてカウントを見つめているような、いわば終わりを悟った者といった感じ。

そうやって待ち続けて迎えた今日。

検査を受けてきた。

ただいま。(おかえりなさい)

倒れ続けて12年

逃げも隠れもできないものだから、なんだかんだ這いながら行くわけだけど。客観的に考えると、多くの人にとっては大した事のない検査だと思う。でも、自分にとっては苦痛の塊と言っても過言じゃないものだから、これは誰がなんと言おうと「苦痛」で通させてもらう。

検査の最中、私はいつも「面倒をかけてすみません」と謝りながら過ごす。今日もそうだったし、滅茶苦茶に辛かった。「いいんですよ。きつくて来なくなる人もいる中で、逃げずに来ているのはえらいです」と聞こえてお礼を伝えたものの、その嬉しさを噛みしめる余裕もなく。

半ば意識が遠のきながら耐えて。

1時間ほど経って終わった。

前日からほぼ何も食べていなくて、帰りはめまいと戦いつつバスに乗り、電車に乗り、家へたどり着いた瞬間に倒れた。「逃げたい、逃げられない、逃げたい、逃げられない、行くしかない、終わった、もう無理……」これを12年続けているのだから、我ながらすごい。

何はともあれ、いち段落。(はい拍手)

持っているものがそれしかなかった

そんな私は、心や体の各パーツが生まれつき弱い。

たしかに「それがあるからこそ分かったもの」や「それがあるからこそ気づけたもの」もあるけど、だからって「経験して良かった」なんて思った事は微塵どころかミジンコもないし、分からなくていいから強くなりたかった。

「なんでもかんでも糧にできるほど
私は人間ができていないんだよ」

と前から散々言っているんだけど、中には「いやでも強くない人の気持ちが分かる言葉を使えてるじゃないですか」と思ってくれる人もいて。本当に使えているかは別として、そう感じてもらえるのは嬉しい。ありがたい。

――が、実は違うんだよ。これも何度も言っているけど、そういう言葉を使うのは「誰かを救うため」などといった、大きくて素晴らしい理由じゃないから。

自分で自分を慰めたい

これが理由。

よく「持っているものでやるしかない」と言うけど、生活がままならなくなったどん底で、私が手のひらを開いた時にあったのが「弱さや苦しさを腹いっぱい腹いっぱい腹いっぱい腹いっぱい味わってきた経験」だけだった。ひ弱すぎて泣いた。でも、それを武器に昇華させる(独り言的に書いて経験を削り出して生きていく)しかできなかった。それだけの話。

それって、経験を糧にしたとはニュアンスが少し違うと思う。成長のためではなく、シンプルに生きるためだから。幻滅しただろうか。

私なんてこの程度の奴だよ。(ブーイング)

ウェルカム・トゥ・マイ・ワールド

さっきも言ったように、弱い自分で良かったなんて1ナノも思えない。武器にできたのは偶然であって、武器にしたとて苦しさが軽減するわけでもないし。簡単に言えば、

重傷でも戦い続けるしかない人

なわけで。どんなに戦っても、痛いものは痛い。辛いものは辛い。そこはどう転んでも変わらない。私の根本的な願いは「苦しみたくない」だし、どんなに「だからこそ分かる気持ち」があろうとも、自分の弱さを受け入れるきっかけには一生ならないだろう。弱い自分が死ぬほど嫌いなんだから。もっと正確に言えば「死にたくなるほど嫌い」なんだから。

そういうわけで、人並みに強くなれない自分を自分で慰めながら、自分が言ってほしかった言葉を、自分がしてほしかった事を、表現していくのが今は精いっぱい。申し訳ないけど、ある意味で全部が我が我が(わがわが)だ。

だから、あらためて言っておきます。私は、立派な人間ではありません。歯がゆいかな、誰かを具体的に救えるほどの力はありませんし、ぱっと気持ちを切り替えさせる表現も持っていません。ただただ、自分が「こうだったらな」と思う

マイ・ワールド

を作っていくだけです。

もちろん、そんな私のワールドの中に、もしもあなたが「どれどれ」と入って、何かしら重なる部分があって、癒されたり、頷けたり、安心できたりしたら、それは素直に嬉しく思うよ。このワールドは出入り自由。入ったら逃さないぞみたいな、"かえし"はついていないし。

身勝手なワールドではあるけど、それでもよければ、好きな時に好きなだけ入り浸ってほしい。まだまだ言葉を発し続けて「ここなら否定されない」と思えたり。「ここなら笑われない」と思えたり。そういう雰囲気を作っていく予定だから。

さあようこそ。(シンバルが鳴る)

まとめ

とりあえず疲れた。

検査は終わったけど、終わりは始まり。冷静に考えれば、今日また新たな時限爆弾を抱えた事になるんだよな。とはいえ、しばらくは解放感が勝っていると思うから、それに半身浴をしたい――といったところ。

一億年ぶりにスタバという名のお店へ行って、自動ドアだと思ってしばらく立って、押すと開くやつだと気づいて入って、注文の仕方も分からずにおろおろしながらカップを渡されるところに立って、そこで一番小さなキャラメルマキアートを頼んで、場所が違ったからレジの前でやり直して、持ち帰りを選んで、お店を出て「ほう。これが最新のスタバか」と感心しつつ飲んで、美味しくてほっぺたが行方不明になって、贅沢のしすぎちゃうかとビビって、珍しく行ったから写真撮ろうと何枚も撮って、記録もしておくかと執筆して、今に至る。

「自分で自分にご褒美をあげよう」と数日前から思ってはいたものの、あげられるものも特にないから、今回はスタバだけにして、後は自分で自分をムツゴロウさんくらい褒めまくってあげようと思う。

私は自分なりに頑張った。

素敵すぎて惚れてしまう。

失神しそう。

本当に本当にお疲れ様。(書き疲れてまた倒れる)

※帰り道に咲いていた雨に濡れた花。

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