見出し画像

怒りや恨みの感情を持ってはいけないという自称カウンセラーは、実際感情のことを理解できていない #030


■心や感情を扱うらしいカウンセラーやセッションを信用していいのか?という問題


「いかにカウンセラーがわかっていないか」を説明するための内容ではないのでそこは端的にだけ書こうと思う。
マイナスやネガティブな感情が良くないもの、背景に包括的問題があると捉える専門職は多い。心身のあるサインとしてはその捉え方をして、対策を取るのは間違いではない。だが、その正体となると話は変わってくる。

例えば怒りの感情は心の何かが解消していない前提で話が進み、怒りを感じるのは良い状態ではないから解決に向かおうとする。そしてあまり怒りを感じないように作り変えられる。
なのであれば、悲しみの感情もネガティブな感情なので極論感じない方がいいということになるが、これは解決に向かった解消をしてからも感じて良いことになっていたりする。
の理由を合理的に説明できる自称カウンセラーはいない。

説明のためにはそもそも感情とは何か?を知らなければならないし(感情の反応が何か?ではない)、その正体が心とどのような関係性を持っているか説明できないといけない。ということは「心とは何か」も定義される必要がある。心と心理の違い。心理と感情の違いも必要だし、深めて考えるなら分化された感情のひとつひとつに精通する必要がある。
それができるカウンセラーや心のことを扱う人など見たことがない。

それを専門家と呼べるのか?
仮に読んでいいとして、本当に頼っていいのか?


■怒りと恨みの持ち方


怒りが人間に限らず動物全般に備わっている感情である以上(感情が何か?とは別の意味で)持たないとかない方がいいというのは極めて横暴な判断だ。
一方恨みは人間が長けている感情で他の動物にはほぼ見られない。

たとえ話をしよう。
あなたのことをよく知らないAさんが、あなたと深く付き合う(例えば恋人)Bさんに「あの人は〜〜というダメなところがある。もしそれを目にしたらやめておきなさい」とアドバイスしたとしよう。
しかしその人は、自分の「〜〜」を直接見たわけでも、体験したわけでもない。本人(自分)に確認して知ろうともしていない。つまりウワサや、その人ではない誰か別の人からまた聞きして「そういう人だ」と決めつけたとする。

Aさんから事前に情報を得たBさんはその発言を信じる。
きっと自分のことを思って言ってくれたのだし(実際は違うが話が逸れるので触れない)、そのせいで被害を被るのは自分だから気をつけよう、もしそういうことがあったら距離を取ろう、と思う。
この時点でBさんも自分の頭で考えたり、相手と向き合うことで判断しようとしていない。そういう意味ではAさんとBさんは似たもの同士だ。

Bさんはあなたと付き合うにあたって「引き気味」「警戒」しながら付き合う。そのため関係は、その情報を知らなかった時と比較して良いものにならない。そもそも論もあるが、今はシチュエーションの判断に絞ろう。
情報に左右されて人と付き合うわけだから、話をしていても、何かの作業例えば仕事の同僚として一緒に活動していても、Bさんの前提にこの人は「〜〜をしてしまう人だ」という目で相手を見ている。なら、必ずそれは起こる。
「〜〜」がレアならかなり回数をかけなければ起こらない。普通のことなら当たり前に何度か起こる。つまり確率論的に必ず起こってしまう。するとBさんは距離を取る。
ならその態度は実は「私はあなたとは将来距離を取るために付き合います。仲良くなるのではなく仲良くなるフリをします」という心理前提を含むことになる。

あなたはそんなことを知らないので、Bさんはちょっととっつきにくい人だけど、仲良くなるためにもう少しあたりをつけたり、嫌がることを気をつけようと思う。機会があれば誘うし、嫌がるなら深追いしない。
だがいつまで経っても距離は縮まらない。
そういう個性の人なのかな?とも思うが、その割には自然消滅しない。相手は引き気味だが距離は近づいている。しかしこちらからすると、距離は近づいているのにいつでも逃げる準備ができているように思える。普段はそう思わないけど、いざとなるとそのスタンスがいつも見える。
この人は何のために自分と一緒にいるんだろう?と思うようになる。

他人の信憑性の薄い情報をもとに、しかし人に近づくということは「何か自分にとって好都合な利益がある」からだ。
この場合は、相手のことは絶対に信じない、しかしメリットはもらう・・・というかなり自己中心的な振る舞いになっている。そして意外に思うかもしれないけど、多くの人が空気を吸うように当たり前にこういうことをしている。

そのことがバレないから違和感を感じる程度にとどまっている。
しかし相手のよそよそしさの背景に、ここに書いた理由があると発覚したらあなたはどんな気持ちになるだろうか。
怒りか悲しみか、虚しさかは別として、また強度も人それぞれだが、必ずネガティブな気持ちになる。特にBさんに対して残念だという判断のもと、ネガティブな気持ちを持つ。「気にしない」という場合も、気になってから「気にしない」という順番になる。つまり感じることはすでにある。

これは完全に相手の側に問題があるケースで自分に否はない。
しかしネガティブな感情を喚起される。人としてごく自然な感情だ。自称カウンセラーはこのようなケースでもあなたの感じ方に問題がある、と言うだろう。


■さらに重要なAさんへの恨みの感情


しかしこの問題はもう少し複雑だ。
その渦中に出てくるのがAさんだ。あなたがAさんのそういう行為、伝聞による勝手な判断を知った時に感じる感情が恨みだ。
怒りや悲しみを伴うかもしれない。知り合いなら失望感も持つだろう。そしてそれらの感情が心のどこかに刻まれる。なぜなら、誰でも、謂れのない勝手な憶測に基づく決定を受け入れることができないので、そういう場面に直面したとき、人は心に何かを刻みつける。

魔女裁判がそうだし、あなたも子供の頃大人に決めつけられて犯人にされた、というような経験が少しはあるだろう。
これはただの不快ではなく、冤罪に対しての否定を伴う強力な感情だ。しかし感情を分けるとしたらネガティブな感情にカテゴライズされる。
この恨みという感情は果たして本当に持たない方がいいのか?

そういうネガティブな感情にいつまでも左右されたり、嫌な気持ちになるよりも、忘れてしまってとらわれない方がいい・・・という考え方もある。
では、それは『本当に可能なこと』を言っているのか?そんなことが現実的にできるだろうか?もちろんできない。
あまり専門的なことは書かないが、そういうものは心の負債として必ず残る。意識に上がってこないとか記憶から抹消されたとかでなくなるものではない。
Aさん、Bさんと人間関係を切ったとしても同じだ。消えることはない。

もしそれでも納得がいかないなら、愛する自分の子供が会社から、仲間から、社会から冤罪を押し付けられ苦しんでいる姿、やり返してやろうとする姿を見て「そういう感情を持つのは良くないからやめなさい」とでも言うか?
言うとして、それは「お前の感情の持ち方が間違っている。冤罪の話は後だ」と言っていることになる。そういうあなたは子供から信頼される親だと言えるだろうか?子供は「本当によく言ってくれた。自分の感じ方が間違っていることに気がつけた。お父さんお母さんありがとう」となるか?
何かおかしいと思わないか?


■負の感情を持続させる


一定の結論はこうだ。
Bさんに対して怒りを感じるなら(多かれ少なかれ感じる)正しく適切に、しっかりと怒りを感じるべきだ。他の感情、例えば悲しみなどに置き換えるべきではない。(自称カウンセラーはこれをよく言う)
その怒りは、怒るべく怒ったものであって、その根拠や理由、そして自分なりの価値と意味がある。どのように行為に移すかはその後の話だ。自分の正当な怒りにピッタリ合う行為行動をすればいい。
もうひとつ。Aさんに対して適切な恨みを持つべきだ。正当でしっかり、自尊心を保ちながら恨む。これも別の感情、憎しみなどと混同するべきじゃない。恨みが何か、自分の恨みは何か、恨みの適切な報復が自分の場合は何か、をしっかり持つ。行動が必要ならその恨みの持ち方に適った正当な恨みを晴らす方法を取ることだ。

どの場合も、感情に任せて暴れればいいとは言っていない。
また適切に感情を持っても、行為行動に結びつくのはかなり後になるかもしれない。つまり怒りも恨みも持続するし、持続させる必要がある。でなければ『自分にとって大事なことは忘れてしまっていい』という話になる。

このケースはたまたま負の感情の話だが、負だろうが正だろうが、感情であれ感情とは関係ない話であれ、『自分にとって大事なことを忘れる』人は自分のことを大事にしない人だとほぼイコールで断言できる。
どのようなことであれ、自分と自分の個性に従って重要なことは覚えているものだし、忘れるような物事ではない。
だが、負の感情を長く持つのは誰にとってもキツイ。毎日思い出して歯を食いしばるなら、それは感情の持ち方が適切じゃない。解消されない感情によって自分の身を焦がしているだけなので(そういう時期も必要)、扱い方に長ける必要がある。つまり維持するのに必要なやり方を覚える必要があるのであって、負の感情を感じなくするようなセッションを受けるということじゃない。


この一定の結論だけを聞くと、必ずしもそういうばかりではないと思う人がいるだろう。
またはより反応的に「そんなのはダメだ!」と頭の悪さ丸出しにする人がいるかもしれない。
それとも、そう言う考え方もあるという客観を装って読まなかったことにしたり、当事者にならないポジションから判断する人もいるだろう。

すでにやっている、という人はやっているつもりで、まるで自己弁護されたかのように思っているだけで、正しくできていない可能性が高い。

もう一度最初の方をよく読んでほしい。よく知ってくれ、がはじめにある。
感情のメカニズムのこと。心のこと。それぞれのケースでどんな実例があるのか。良いケース悪いケース。正の感情のケース、負の感情のケース。怒りのこと、恨みのこと。悲しみと憎しみとの違い。自分の経験からその定義に当てはめて言えること。人を見ていて起こっていること。特に「負の感情」×「適切であること」への注目。
自称カウンセラーのように負の感情を取り除くべき汚物だと決めつける先入観の解消。そういうことにひとつひとつ取り組めば、正当な自分とその感情がどういうものかわかってくる。これは感情とは別の物事、例えば資質や個性の価値などに関わる物事なので、自分自身のことについても良く知る必要が出る。

その上ではじめて、適切な怒り、正当な恨み、そしてそれらを実行に移すときのやり方が明らかになる。
この考え方はどこまでも個性に基づく。いや、人間は社会性の生き物だと言うなら、そもそも負の感情に心がダメージを喰らうことなどないはずだし、あるとしても封印封殺撲滅して生きていけばいい。それがいい人生だと言えるなら。ただし人には押し付けないことだ。それがいい人生だと1ミリも思えない人はあまりにも数多くいるのだから。

カウンセラーは自分がロボトミーを推奨していることを恥じるべきだし、そのような危険を人に平気で押し付けている倫理の欠如をまず気にした方がいい。


【一次構造心理】講座やります。(1月14日スタート)
認識と知覚、が個性に大きく影響与えている→どうやって生かすかは根本から・・・みたいな内容。
下のリンクのFBグループで体験どうぞ。

12月いっぱいコースのfacebookグループ無料で参加いただけます。


フォローやシェアをしていただけると嬉しいです。 よかったら下記ボタンからサポートもお願いします。 いただいたサポートは大切に松原靖樹の《心の栄養》に使わせていただきます!