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カフェの売り上げが過去最低だった日、わたしは幸せで泣いた

今月からカフェの営業するシェアキッチンの場所を
変えた。

今週末のカフェ営業は、お客さんは2名だった。

過去最低の人数であり、過去最低の売り上げだった。



その日の予約は1名、
通りすがりに入店してくれた方が同じ時間帯に入店。

そのふたりが13時には帰り、それから全く人は来なかった。

カフェの営業は17時まで。

人の来ない寂しさもありつつ
「だったら、やれることをやろう!」と
料理の写真をカメラで撮ったり
置いている荷物を整理したり
掃除を念入りにしてみたり。


「誰も来ないなあ」と思いつつ
ふぅ、、、と一息をついて座る。

その瞬間に「えりちゃんは受けとれてる?」と
最近知人に言われた言葉が頭のなかで響く。


「お金が、利益が、、、って言ってるけど
もちろんお金も大事だけど
人からの優しさや愛情を受け取れてる?」


ハッ、、、とした。


わたしは優しさや愛情、与えてもらっていることを
受けとれているだろうか。

そこに意識を向けられているだろうか。

与えられていることに感謝できているだろうか。


そう思うと、次々に涙が溢れた。


掃除しながら、
冷蔵庫にストックを置きたいとオーナー
に連絡すると、「すべて持ち帰りです」と返事。

そりゃそうだ、シェアキッチンだもの。


その30分後、「2階にある冷蔵庫を使って良いよ」
と連絡。

「料理の写真を撮るならアトリエに入って良いよ!」とも
連絡が来ていた。


どれだけ優しくしてもらっているんだろう。


わたしのために調理器具も食器もカトラリーも
揃えてくれた。


このありがたさが当たり前であると思っていないか?



スマホを開くと、3人から「ありがとう」の感謝の
メッセージが来ていた。

ひとりはパンの先生。

ひとりはパンを渡したご近所さん。

ひとりは最近数年ぶりに再会した旅友。
再会してわたしに影響を受けて
やりたいことを始めてみたそう。



最近出会った空間デザイナーの方は
わたしをアトリエに呼んでくれ
見せ方、場の楽しませ方を教えてくれた。

農家さんとつながりがある方とも
繋いでくれた。



ああ、どれほどわたしは愛されているんだろう。

どれほど優しさを与えてもらっているんだろう。

気づけているかな?

ありがとうって思えているかな?


そう思えば思うほど、幸せで愛が溢れて涙が止まらなくなった。


お客さんが来ない=わたしには価値がない
         わたしはダメだ
と自己否定してしまう。

でも違う。

お客さんが来ない≠わたしには価値がない。

そんなの全く関係ない。


「今日は2名だった。」ただそれだけなんだ。

カフェの繁盛さでわたしの価値は決まらない。


わたしはすでに愛されている。


2名来た、そのふたりともが「また来ます」
と言ってくれた。

つまり気に入ってくれたんだ。


前に言われたことがある。

今日何人来た、よりも
リピーター率はどうか?を見なさい、と。

わたしのお店のリピーター率は70%くらい。


ふたりもまた来てくれると言った。嬉しい。

意識をむけるのはきっとそこだ。



カフェの売り上げが過去最低だった日
わたしは幸せで泣いた。


帰りの車でMrs.green appleのStaRtが流れる

幸せな時間をどれだけ過ごせるかは
微々たるものでも愛に気づけるか
さあ試されよう

I can, You can, We canって
耳にタコが出来るほど聞いた
I love you の言葉だって
どこから信じれば良いの?


涙が止まらなかった。

でも悲しみの涙ではなくて
幸せと感謝からくる涙だった。

とても良い日だった。

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