人間が作り出す境界線
京都国際写真展に2回行った。来週も行く予定だ。
芸術やアートに興味がなかった私が、少し興味を持ち始めたのはここ最近。
目の前の現実をどのような世界に見ているかは人それぞれで、芸術はその人がどのように世界を見ているか、を知ることが出来る。
人によってフォーカスするところも、感じ方も捉え方も違う。
どんな理由でそこに行き着いたのかも違う。
例えば、カメラ。私もカメラで写真を撮る人間だからこそ、思うのだけど、撮った写真はレンズを通して自分がどの世界を美しいと思うのか、を映し出している。
つまりファインダー越しの世界が私の見ている美しき世界だ。
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私からすると、これも芸術になるのか、、、と驚くときもある。
最近、神戸の小さな展示場で、紙に線香で穴をあけました、という芸術作品を見た。
看護師として当たり前に関わっていた認知症。今回の京都国際写真展では、その認知症が芸術になっていた。
私にとっては通り過ぎゆくものが、誰かにとっては胸を掴まれ芸術作品となって現れる。
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芸術は自分を知るきっかけにもなる。
ひとつの芸術作品から自分の過去の思い出が蘇ってくることがある。
「私は、こう感じる」と批判的になることもあれば、「わかる!それまさに私の言いたいこと!」と賛同することもある。
芸術は「そんな視点もあるんだ」「そんなデータもあるんだ」と自分の視野を広げてくれる。
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今回の京都国際写真展のコンセプトが特に気に入っている。
私が見ている世界は、私が見たい景色。
あらゆる境界線を自分から越えていく、きっと芸術は自分の境界線に気づき、その境界線を曖昧にしてくれるもの。
旅の感覚と同じだ。旅に出て、自分の作った境界線をぶっ壊していく。
本当はこの世に存在するすべてに境界線などないのかもしれない。
境界線も私たちが無意識に作り出す幻想なのかもしれない。
自分が無意識に身につけた境界線、その境界線を守りたいのか、壊したいのか、越えたいのか、自分の「思い」によって変えられるものなのかもしれない。
そんなことを感じさせてくれる京都国際写真展に私は惹きつけてられている。
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