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人間は繋がりの中で生きていて、結果は自分の目には見えないこともある

ちょっと興味があってやってみたかったことを、挑戦してみた。
そしたら、「これやってる意味ある?何のために役立つ?相手に迷惑かけてるだけちゃう?」「やりがいもなくおもしろくない、やりたくない」「もっと効率良くしたらいいのに、もっと連携取ればスムーズなるんちゃうの」
とひたすら目の前の仕事を否定していた。

あ、私、ジャッチしてる!とハッとして、自分を見ていくと、どんどん紐がスルスルと解けていく感覚。

私が見ているのは、目の前でやっていることだけ。点で見ていて、小さな世界なのかもしれない。後ろにさがって、広く見てみると、私がいるのは、いろんな人や部署が連携している点のひとつで、点と点が繋がって線になったり、点と点が繋がって円になったりして、その先に結果があるのかもしれない。私には見えないけれど、たくさんの繋がりの中にいるのかもしれない。

私は結果を早く知りたいせっかちで、自分が全て把握して納得したいタイプ。そして意味がない、効率の悪いものは、無駄だと感じる。
でも、もしかしたら、私には結果は見えないけれど、誰かを助けていたり、誰かを救っていたり、誰かのためになっているのかもしれない。
自分の目の前に見えてることが全てじゃない。いろんなものが混ざり合って、重なり合って、その先で何か起きているのかもしれない。
現実世界で起こっていることだけど、私の目の前じゃないから、私には見えてないだけかもしれない。人間は繋がりの中で生きている。

結果はないのかもしれない。もしかしたら無意味かもしれない。もしかしたら意味があるのかもしれない。その結果もその時々で変わるのかもしれない。やり続けないと結果はわからないし、やらないと結果は出ない。結果が自分には見えないときもある。

私は人の変化を自分の目で見ていくのが好きだけれど、自分には見えないときもあるし、結果がわからないこともある、と今回気づいた。

白黒はっきりするのも良いけれど、グレーのような色、わからないというボンヤリとしたような、過程の中にいるような、中継ぎの役割のような、橋渡しのような、、、そんなポジションもいいのかな、とふと感じた、今朝の出来事。


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