成瀬遠足

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「泡」vol.1

「泡」vol.1PDF版「泡」vol.1の番外編インタビュー N: 成瀬遠足 T: トダリョウコ K: 神威 〈トダさんにとって「境界」とはなにかの話〉 N: 今回は泡のテーマである「境界」について話しあいたいのだけど、まずトダさんにとって「境界」とはどういうもの?そこから話を広げていこうかな。 T: 最初に浮かぶものは皮膚かな。外界と体内を隔てる皮膚がイメージとしてあって、その薄い皮があることで「個体」が成り立っているけど、それはいろんなものにも通用すると思う。

    • 転居22

       アルが上がろうとするとスリッパが差し出され、ありがたく感じ、礼を述べた、小さなオフィスで、風通しが悪いというわけでもなく、ただ小さいオフィスであるから風通しについて考えただけであるというもので、赤茶色の、来客用とペンで書かれたスリッパを履いてなんとなくの衝立のあるスペースに案内されて椅子に座る、質問をする人は、落ち着いた、でも鮮やかな印象のオレンジの服を着ていて、ほとんどの時間上半身しか見ていなくてそれ以外の服装は記憶にない、その人の背景は一面窓で、隣の白っぽいビルの壁面が

      • 転居21

         テレビが遠巻きに大音量で鳴っていて、次第にサスペンスドラマであることがわかる、サスペンスドラマの音だけを聴いていたら効果音がかなり多い感じがする、アルはオムライスを食べながらドラマでは炒飯の話をしている、死亡保険の話が始まった、CMだった、サスペンスドラマの間に死亡保険への加入を勧められる、これは名案かもしれない、健康を維持したり保険をかけることを勧められる、カント全集の購入を勧めるものはない、草刈機を勧められる、健康を維持しながら草を刈る提案だ、ケチャップはオムライスの上

        • 転居20

           犬の雲が犬の雲を追いかける群れ、月の前を過ぎる一瞬だけ輪郭が照らされる、月が黄味を帯びているのはなぜか、私は小さい私に教えてあげられるように調べた、小さい私は科学的に正しい説明を求めていたわけではないけど、いま私はそれについて問われたとき、自由に歌うこともできるし、以前と同じように言葉に詰まることもできるだろう、重要なのはその点だ、と宇宙化学者は話した、アルはお守りのように思う小説の一節を思い出していた、宇宙からグラスの水に降る微細な光についての話だった、いま光ったのがその

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        「泡」vol.1

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          転居19

           目を開けると雪が積もっていて線路の際に溜まった雪は、白い袋の土嚢だった、曇りの町は雪に馴染む色調だと思った、六月だった、アルは一人だったからカウンターでも構わないが、もう少し待ちますか、と店員の人に訊かれて、なんとなく遠慮して、待つことにしたが、実際その類の遠慮よりも、混雑してきたから、テーブル席には二人以上の人が座ったほうが、効率はよかった、アルは席について、向かいのテーブルで細いグラスのレモンティー、薄いレモンが浮かべてあったからレモンティーだという、それに、シロップが

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          転居18

           地面が大きな液体のように揺れ、傾いた角度でもとに戻らなかった、アルはもとに戻るのを待ってから立ち上がろうと揺れの途中で考え、戻らなかったために立ち上がらなかった、立ち上がらなかったために、そのまま眠った、あとから考えれば、あれは夢だった、それからしばらくすると、台風が近づいて来たらしい。これだけの水を移動させようとするなら、大変なエネルギーが必要になる、ずっと水が降ってきて、あちこちに溜まり、溢れた。アルはその間、四角いもののなかに入っていた、その中でしか動き回らなかった、

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          転居17

           いつのまにか町じゅうに紫陽花が咲いてそれはまるで眠りから目が覚めるような心地だった。死にたくないと思ったところで毎日意識は途切れ気が付けば始まっている、意識が途切れる最後どのような体勢だったかまったく思い出せない、目が覚めたそのとき最初に何を見たのかも思い出せない、紫陽花はそのように各地に咲いた、そのときのことを問うことはできなかった、みな出鱈目のことを言う、おまえの夢の話をしているのではない、目の前に咲いているこの紫陽花の話をしている、蛙だってそこに乗っている、蛙を支える

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          転居16

           檻の中に生きる動物は、雨を見ていながら、雨に濡れることはできなかった、場合によっては、死ぬまで雨に濡れることができなかった、アルは雨を避け、コップの内側以外、外側、が濡れていることを気にし、テーブルが濡れていることを気にしている、手の一部が湿っていることを気にしている、植物が濡れているのも生々しい、早く髪の毛を伸ばしたいのだ、アルの住む家は小さな虫ならいつでも入れるようになっている、でも家はあまりにも大きくいつでも出れるということはない、大きさが、あるいは空気の流れが、弁の

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          転居15

           学者に対面してなんとなく一突きで崩れ落ちそうなしかしなにかぬめぬめとして全体的にはやはり土くれのように坐している、それに硝子の巨大な重箱が覆いかぶさっているのかもしれない、大きすぎるために実態はよくわからないしかしその硝子の向こう側に傘を差した人間のようなものが横切っていくのに学者ともう一つのその体は傘を差していないのに皮膚は濡れて見えないからこの硝子は箱型であると考えるのが妥当だ、視覚的に見えることはなく聞こえることもなく実体のないように思われる部分もこの国では大抵作り込

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          転居14

           ちょうど七つ鐘が打つのを順当に予測しながら数えて左斜め後ろに位置する人間が手かなにかに吹き掛けたアルコールの匂いの粒を嗅ぎながら珈琲を飲む前から縁取られていた胃に珈琲を飲んでもう一層胃の内側から縁取りを確かにした珈琲は数日後から値上がりするということだ、詩人が綴った日記に記録された喫茶店は、冷たくべたついた石のiPhoneの中の Google mapsの検索によると既に存在しない、数冊の本にその名前が記録され、数枚の写真が誰かの家の机の抽出しに差し込まれ、あるいは数人の人間

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          転居13

           羽虫たちは夕立のある一粒に一撃で落とされるか、自ら脱ぐことのできない衣の重さに突っ伏した。雷の休まる隙にいちいち聴こえてくる子供らしい声は、雷が適当な場所に落ちる瞬間、何に守られていただろうか。淡いブルーのシャツを着たフォーク・デュオの歌は聴き終わるといつもなにか重い気分になった。アルは足の裏が冷たく汗をかいていくのを感じながら、パックの白米をレンジにかけて隣人が鼻をかむ音を聞き、そのあとベランダに出た。目の前にはコンクリート打ち放しの高級そうな住宅があるだけで、目に見える

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          転居12

           アルは蝿が飛び交っていた星のようだった日の話を聴いてその光景を日に何度も自動的に描いては忘れることを繰り返していたらその十回目くらいにひと昔前に書かれたラテンアメリカ小説のなかで流れ星の降り続く夜空を見上げて、こんな夜には静かに闇を眺めたかったのに、というようなことを独りごちていた登場人物のことを思った、メキシコの猛烈に冷えて乾いた砂を呑み込もうとするようにぱっくりと開いた夜の空には流れ星が好んで降り注いだ、その境界にいつもかろうじて立っていた男は、流れ星など短い人生のその

          転居12

          転居11

           新しい家が左に追加されていく空き地の横を通る、アルがこの町に来る前にすでに壊されていた建造物、壊したことで開けた土の地面をもう一度コンクリートで固めてその上に細長く白く四角い家が左に追加されていく、家は随分前からあったのであろう歩道からその歩道と同じ幅くらいのレンガ風のタイルの新しそうな道を挟んで建っていてそこだけ道が広くなるから人はなんとなく縦に引き締めていた体を少しだけ緩める。今日の土は昨日の雨のために湿っており、また、波打つように斑に苔むして、その苔の深い緑色と混然一

          転居11

          転居10

           敬語で話していると折り紙の白をなにかしらの規則に従って折り目を付けていくようにせらせら文字の音が出ていって舌触りが癖になって質問や応答の範囲からはぐれてひとりでに喋り続けてしまいそうになって、強く均衡を保つことにする。敬語の音を聞きながら頷いているときもそうだ、音を意味としてイメージに置き換えたりしながら再構成している担当は監視の目が緩まる隙に悠長に職場を抜け出していつの間にか生成りのTシャツとパンツで小さな温水プールに手足を大きく広げ浮かんでいる。敬語を口から出すにも耳か

          転居10

          転居9

           電車で一つ席が空いていたら、両側に座る人が、いまどんな気分で、なにを感じているかということを、想像しないままそこに収まる、その人の顔を、はっきり見ることもない、匂いは少ししている、アルの世界に他人が現れてから、誰一人として、アルとまったく同じように見たり、聞いたり、匂ったり、している存在はいないということを、少しずつ感じてみようとした、酒を飲んで、体のコントロールが弱くなって、そのとき初めて、毎日こんなに不安定な世界で生きている人がいるかもしれないと思う、世界が危険なもので

          転居8

           太陽の明るさのさなかに顔を置くと皮膚の緑色に見える部分金色に見える部分白色に見える部分がありそれぞれで瞬間が持続する場所にその通りに色の粉を載せようとするこれは化粧で、なんらかの像に近づくということではなく、地形に合わせて葉を茂らせるようで、体の輪郭が土と植物に少し溶け込む。小川のなかにも緑色や金色や白色や茶色があり日々異なる色がある、鯉と鴨はしばし休んでは移動し枯れた葉は数メートル先の岩へ花びらは水流のなかに落ちては消え去って休日も休むことなく形を変える、形というのはあっ