転居9

 電車で一つ席が空いていたら、両側に座る人が、いまどんな気分で、なにを感じているかということを、想像しないままそこに収まる、その人の顔を、はっきり見ることもない、匂いは少ししている、アルの世界に他人が現れてから、誰一人として、アルとまったく同じように見たり、聞いたり、匂ったり、している存在はいないということを、少しずつ感じてみようとした、酒を飲んで、体のコントロールが弱くなって、そのとき初めて、毎日こんなに不安定な世界で生きている人がいるかもしれないと思う、世界が危険なもので溢れているように感じ、あるいは、常に叫びたいような殴りたいような暴力的な衝動を抱えながら通りを歩くことの困難、そういった想像を常に何百種類も用意することはできない。アルは左手で吊り革を持ちたい体をもっていた、そこにあるいくつもの体と間合いをとる工夫をした、草に水をやってからコップに残った水を飲むと自分の体に水をやっているようだった、大抵水分が不足していた。

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