【家族】少しだけ、父の孤独に近づいた気がした。

大学卒業後、新卒入社で東京に来た。
東京で働きたい理由は、出版業界で働くには東京に企業が集中しているから、とか、なんとか言っていたけれど、本当のところは
「地元から逃れたかった」という理由が一番だった。

地元にはびこる様々なしがらみ。
親・友人・過去を嘲る人…主にそれは「人」だった。
社会に出るのをきっかけに、人生をリセットしたい。
そんな思いから、東京のみで就職活動を行い、大阪を出た。

それから11年。
11年の間に、私はお酒を覚え、失恋を覚え、退職を決意し、結婚をし、
フリーランスになり、東京から千葉へ居を移し、出産をし、本屋という店舗を構え、ここを「地場」として生きようと決めた。

でも、正直、大阪を出て10年が過ぎ、ちょっと疲れてきたのも事実。

ツッコミがいない。
吉本新喜劇や探偵ナイトスクープがない。
漫才に気軽に出会えない。
軽い冗談を本気に取られてしまう。
地元のような話し方だと相手が驚いてしまう。

などなど、関東と関西のギャップに、はじめは応えようとしていたものの
だんだんと疲れるようになってしまった。

あぁ、関西に帰りたいなぁ。
そんな気持ちがよぎると、私は父を想う。
里を出てもう45年以上は経つ、父のことを。
(今も生きてる)


家族はあれど、友達がいない父
父は、大学入学と同時に京都に来た。一人暮らしを始めたばかりのころ、お金をだまし取られ、靴の底に入れていた千円札で、ことを凌いだことがある、と本当か嘘かわからない話をされたことがある。

大学時代、Barでバイトをしていて、そこで母と出会い、就職して大阪に住んだ、という話は何度も聞かされていましたが、大学時代こんなサークルに入った、こんなふうに楽しんだ、という話を聞いたことは一度もなく、また、今でも付き合いのある友人、という話も聞かない。

なぜ父に友人がいないのか不思議だったけれど、私も今、こちらに友人がいない。
私の場合、つくる気がなかった、というか、つくる気になれなかった、というのが理由だった。

大阪ではあほ、東京ではばか、が軽口で使われるように、同じ日本語でも文化が違うと、会話をするのに「翻訳」が必要になる。その作業で、本音がうまく伝わらない。幼少期ならまだしも、ハタチを迎えたころだと、しんどい…

だったら、地元の友人と帰った時に話そう。となりやすい。
そんな理由から、ちょっとお茶する友達ができても、長続きしなかった。

父も、まったく友人がいないわけではなく、父の里である長崎では父の友人を紹介してもらった。毎年楽しそうに同窓会に参加して、そのときの話を面白おかしく聞かせてくれるので、父が大阪で友人がいないのは、同じ理由かもしれない。

関西弁を話していた父
幼いころ「父の実家は長崎」という認識はあっても、「父が関西人ではない」という認識は全くなかった。
関西弁を話す父は、一見関西人に見えるし、長崎に帰っても周囲が長崎弁の中、関西弁を話す父を見て、九州の人、というイメージを思い浮かべるほうが難しかった。

でも、時々「~しとってん」とか「やっとってん」という言葉遣いははしたないからやめなさい、と言われたり、
父が𠮟ろうとするとなぜか共通語(東京弁)になったり、と違和感を持つことがあった。

きっと、方言の違いや、叱る時は本音がでて九州弁になるのを、必死に抑えたいたのだろう、と思う。

そしてなにより、一番大きいのは、関西弁で話すことで、母と近い距離にいれる、母が喜ぶ、ということも、あったんじゃないか。

父は、45年以上も「関西人」で居続けている。(今も生きてる)


「パートナー」しかいない心細さ
私も父も、実家を出た先で、地元の人と出会い、結婚している。
父は京都出身の母と。私は、千葉出身の夫と。(少なくとも今は)

父はどうかわからないけれど、私は、私のことを常に理解しようとしてくれて、なにかあれば協力してくれる夫と出会うことができて、
「ああ、ここが『家』なんだな」と思うことができた。(少なくとも今は)

つらいことがあっても、憤ることがあっても、夫は話を聞いて、受け入れてくれる。夫に対して関西弁で怒鳴っても、こわい、と言いながらも否定はせずに向き合ってくれる。
そのまんまの自分でいさせてくれる人だ。(少なくとも今は)

でも、言い換えれば「夫しか」いない、ということ。
当初は、社会人って楽しい、子育てって楽しい、と目の前のことに夢中でいられましたが、今は「関東じゃなくてもいいかな」と思うようになってきた。

千葉は広い。
鴨川シーワールド、アンデルセン公園、東京ドイツ村(千葉です)、マザー牧場、成田ゆめ牧場、市原ぞうの国、IKEA TOKYO-BAY(千葉です)、東京ディズニーランド(千葉です)
魅力的な施設がたくさんある。
電車のアクセスが良いもの以上に、車でないと厳しいものがたくさんある。

我が家には車がない。
夫は土日休みの仕事ではない。
休日、子供三人を連れて遊ぶ、となると、私しかいない。夫の実家は義父の介護があり、義実家に子供を預けることはできても、おでかけは頼れない。

大阪だと、王子動物園があるなぁ。摂津峡もあるなぁ。須磨の海釣り公園、海遊館…映画館も梅田にあるし、買い物も近いし、甥っ子もいるし、実家も頼れるし、友達の子供たちと遊ばせられるし…なにより、神社やお寺の距離が近い。

子育ては、関西でしたい。
歴史と空気が結びついている関西独特の空気を、感じて成長してほしい。

そんな思いが何度も過っては夫に相談するけれど、関東を一度も出たことのない夫は、なかなか首を縦に振らない。
いつか関西で移住することがあっても、夫はついてこないだろう。

父も、いつかは長崎に帰りたい思いがあるようだけれど、母が承諾しないだろう。京都人の母もまた、地元愛が強い人間なので、難しいだろうな、と勝手ながら思っている。

父の寂しさをわかってやれるのは、だれか
地元を出て45年は経つ父。(たぶん)
就職して、飲食店を複数経営し、今は立ち飲みを大阪で経営している父。

娘しかいない父。
思春期には疎まれ、父がなにかアクションを起こすと、私たち娘からしら~っとしたリアクションをされてしまう父。

それはもしかしたら「父(=男親)」と「娘」という関係だからではなく
大阪の笑いが東京で通じないように
言葉の表現からうまれる、九州と関西の文化の誤差が生んでいる関係なのかもしれない。父の冗談を、もしかしたら地元の友人は笑うのかもしれない。

地元を出て10年以上経った私だからこそ、生まれてきた父への新しい視点。

私たちを育てている間は、きっとそれが支えになっていたんじゃないかと思うけれど、子供たちが独立した今、父を支えているものはなんだろうか。

10年程度しか異文化の地に住んでいない私が音を上げているのに、
父はいまだに音をあげていない。
男性は弱音を吐くのが苦手だというけれど、本当は音をあげたいのだろうか。

父に聞いてみたいけれど、45年も踏みとどまってきた父の、それは立ち入ってはいけない場所のように思う。

私ができることは、なんだろう。
そんなことを想いながら、今週末に迎える父の日になにか贈ろうと思う。
(おすすめがあれば教えてください)

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