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保育園が必要なのは働く親御さんだけじゃない

子どもの寝かしつけ。

我が家では基本的に乳児の頃は添い乳しながら寝ていたのだけど、タイミングが悪いとそれでは寝ない時もあり、そういう時はよくお散歩に行っていた。卒乳した今は、毎日のように寝かしつけの散歩に行っている。

我が家は各停しか停まらないような静かな住宅街にあって、お家の裏には川も流れていて、遊歩道もあれば堤防もある。川沿いに街灯はないけど、遠くのバイパスやら街やらの明かりが届いて、暗過ぎず明る過ぎず、寝かしつけの散歩に行くにはとても適した環境と言える(そして、もちろん、昼間のお散歩にもとても適している)。

さすがに昼間は暑くてしんどいけど、夜は川沿いの風が気持ち良い(最近はそれでも暑い日もあるけども…)。乳幼児はもとい、子どもと暮らすには本当にとても良い環境だと思う。

そんなわけで、先日も夜に娘の寝かしつけに散歩をしていたのだけど、ふと、街に住んでいるご家庭は、こういう時どうしているのだろうか、と疑問に思った。

家を出ても騒がしかったり明るかったり、暗くても不審者の心配があったり?

そうなると、なかなか外には行けないのではなかろうか?とすると、外に行かずに、お家の中で寝かしつけをするのだろうか。

だとしたら、相当辛いものがあるだろうな。。。

部屋の中という閉鎖空間で、子どもがいつ寝るのかもわからない、終わりの見えない寝かしつけ。心身ともに閉塞的な状況で、ひたすらに抱っこをし続ける。静かな場合はそれでもまだマシだろうが、これで泣かれ続けた日には……

育児が大変な理由って、個々人の意識の問題や社会的な環境の遅れとかもあるだろうけど、住環境・生活環境もあるのではないだろうか?今のこの社会環境が、人が気持ちよく生活するような設計になっていないことも問題なのではないだろうか。

まぁ、さしたる知識もないなんとなーくの想像でものを言ってますけどね。でも、私の今の状況から「寝かしつけの散歩」を取ったら相当キツいと思うので、あながち的外れでもないのではないかと思う。

前置きが長くなったが、保育園の必要性って、女性の社会進出においてのみ語られる傾向にあると感じるのだけど、こういうドメスティックな環境になってしまっている現在の育児環境を打開するためにも必要なものなのではないかと思う。寝かしつけはあくまで一例で、そのように閉塞感を感じる育児の場面は沢山あるから。。。

「保育園」という場は、親が働いている・いないに関わらず、閉塞的になりがちな現代の育児環境において、非常に重要な福祉なのではないだろうか。

また、子ども自身にとっても、親元を離れて初めて一人で触れる「社会」で、子どもの礎をつくる一翼を担う重要な場所だ。その視点から見ても、大事な教育・福祉の場なのではないだろうか。

まぁ、だから何だ、って話かもしれないし、何も出来ない自分にモヤモヤも残るのだけど、とりあえず、私は私のすべき事はしていこうと思う。少なくとも、こうやって考え続けていこうと思う。その中で何かを見つけられたら良いな、と思うし、見つけられなくてもそれはそれだと思う。

気負わず、気楽に、今日も大好きな子ども達と共にお散歩をしよう。

ここまでお読み頂きありがとうございます!重度のアトピー(癌だった疑いあり)から医者にかからず回復中の一男二女のお母さんです。日々の出来事から感じたことや考えたことを綴っています。元気になったら表現活動や新月材を使った場所作りなどしたいことが沢山あるので、応援宜しくお願い致します!